ブルーインパルス
Blue Impulse



F-86 ブルーインパルス (1958〜1981)

少数精鋭の戦闘機を使うのがアメリカンアクロの定義だとすれば、ブルーインパルスが真のアメリカンスタイルであったのはこのF-86F戦闘機の時代だけである。
初めてF-86ブルーインパルス(というか飛行機のアクロ編隊飛行)を見たのは高校1年生の時と記憶している。
F-86によるブルーインパルスは3回程見たが、写真を撮影したのは入間基地で開催された国際航空宇宙ショーの時だけ。
父親のカメラを借りて、ネガフィルムで撮影した写真が数枚だけ残っている。
この頃の私は現用軍用機には殆ど興味ない(そう、この時F-86Fは現役の軍用機だった...)大戦機ファンだった。だから余り熱心に見てなかった気がする。勿体無い。今でも大戦機の方が好きなのは変わり無いのだが...

F-85 Blue Impulse overhead pass

5色のカラースモークを引きながら、頭上をパスするF-86ブルーインパルス。
基本的には4機編隊+シングルソロの、5機による演技だった。
雲があったのでこの日はローショー(第3区分?)だったと記憶している。
今に比べると高度、距離の制約がゆるかったはずで、アルミ地+オレンジ色の腹を大きく見せながらの演技を記憶している。

F-86 Blue Impulse line-up

入間基地のエプロンに整列したブルーインパルス。
朝鮮戦争時代の戦闘機を、1980年代まで使い続けた自衛隊の物持ちの良さには感心するばかり。
機体塗装は東方映画のプロのデザイナーによるのもだけあって非常にスッキリしている。
オレンジ色に白の筆記体でBlue Impulseと書かれた増槽の塗装はT-2ブルーインパルスに引き継がれた。
後方にエアバスA300が見える。本来この塗装はエアバス社のデモ機用のものだが、A300の導入を期に、当時の東亜国内航空TDAは塗装を順次これに切り替えた。その後日本エアシステムJASへの社名変更、黒澤監督デザインのMD82導入を経て、日本航空と合併し現在に至....って、いつの間にかブルーインパルスじゃあなくて東亜国内航空の話になってる。


T-2ブルーインパルス (1982〜1995)

T-2ブルーインパルスの登場により日本のアクロは暗黒の時代に入る。
当時は世界でも珍しい超音速機によるアクロチームであったが、いくら紙上のスペックがすごくても、肝心の演技内容が貧相では観衆に受けない。
公開初年の1982年から墜落事故が発生し、下向空中開花が以降消滅してしまう。
世界的に見てもこの頃はブルーエンジェルスがA-4攻撃機使用(〜85)、サンダーバーズはT-38練習機使用していて(〜82)大事故発生、イタリアのフレッチェトリコローリは西ドイツで大事故発生(88年)と、アクロチームに余り元気が無かった時代。
で、ブルーインパルスは1984年から展示飛行を再開したが1991年には訓練中の事故発生と、非常に不運のチームでもある。
これら事故の影響か、展示高度が年々上がる。
他にも編隊密集度の低さや塗装のケバさ、会場にしつこい程繰り返し流される音楽、そして一度目の前を通り過ぎたら次に何時現れるか判らないという演技間隔の長さなど、いくら日本では海外のチームを見る機会が無いから比較対象が無いとは言えちょっとヒドいぞ、こんなものに税金は払えないぞ....と思っていた時、究極のイベントが開催される。
それは、1994年のサンダーバーズ来日!
勿論私は会社を休んで三沢基地に見に行く。宿が取れないので基地前の公園でキャンプに宴会。翌日基地に入ると平日なのにスゴい人!人!人!何とか最前列確保、目の前をタキシーするT-2ブルーインパルス。薄くヘイズがかかる中(←つくづくツイてない)、遥か高空で演技するT-2。「ダメだこりゃ。」
午後には晴天、待ちに待ったF-16サンダーバーズ!早い!低い!かっこいい!右から左から次々と登場!フィルムは何時交換するんだ?レンズ交換なんて絶対出来ない程忙しい。これぞ本場のアメリカンアクロ!
これがサンダーバーズとT-4ブルーインパルスの比較だったら塗装のセンスといい、演技の面白さといいT-4ブルーインパルスの方がイイと感じるだろうが、T-2との競演なんて余りにも残酷。もはやアメ公の引き立て役にしかなっていないT-2ブルーインパルスも翌々年には機種入れ替えがあるさと自分を慰める。
この航空ショーで目が覚めた人も多いんじゃないだろうか。青い衝撃とはいうが、アクロの酷さを改めて認識した衝撃だった...

T-2 Blue Impulse takeoff at dawn

100円ライター?を思わせるチョロチョロ炎を引きながら、日没直前の百里基地を離陸するT-2。
手前は予備の7番機。
プロのデザイナーによるF-86時代とは異なり、T-2の機体塗装は一般公募によるもの。
現在にくらべて自衛隊が限りなく閉鎖的な時代に、女子高校生グループによるデザインを採用したとして話題になったが、正直何とかならなかったのか?

T-2 blue impulse delta formation

カラースモークを引きながら高空を飛ぶT-2ブルーインパルス。
いくらブルーインパルスの主な目的が航空自衛隊のリクルートで、その為に空高く飛ぶことのあこがれを青少年に植え付ける、とはいってもそんなに高く飛ぶことは無いだろう、という位に高い。
最後の数年は、本当に、年々高くなるという印象だった。超々望遠レンズを買わせる為にカメラ・レンズメーカーとグルになっているのでは、とまで勘ぐってしまう。
それは別として青空に逆光気味のカラースモークは綺麗。

Boy with T-2 on his head

1990年代初期の頃に、某航空際で見かけたT-2ブルーのファン。
ウェザリングの程度からすると、歴戦の追っかけか?
機体はハセガワの1/72か?この時既に実機では尾翼に機体ナンバーを入れていたのだが、この模型のデカールはかなり長い間対応していなかったと記憶している。そりゃアップデートもせずに放置したくなる模型メーカーの気持ちも判る。
この頃、頭にプラモやぬいぐるみを載せるのがはやったらしいが、僕は現物を見るのは君が最初で最後。


T-4ブルーインパルス (1996〜)

正式な公開は1996年からであるが、前年の1995年から機体の公開、暫定的な演技の公開などが行われている。
同年の松島航空際、訓練展示、T-2ブルーインパルス最終フライトなどでT-2ブルーインパルスと同時に見れた為、T-4の高度の低さ、演技間隔の短さ、編隊の密集度などがことさら強調され、T-2は完璧なまでの引き立て役だった。
これを見てT-2早く消えろ、T-4早く正式に飛ばせ〜という想いがますます強くなる。
残念なことに正式公開初年の1996年は意外と天気に恵まれず、私が晴天で見れたのは岐阜(逆光)と新田原(裏側からの見物)だけ。
と言う訳で、会場真ん中(ショーセンター)から、晴天順光で見たことは無い。
次の1997年から私は渡米したのだが、私の渡米日は何とブルーインパルスがネリスショーを行った1週間後だったため見られなかった。これはとっても残念。
2003年に私は日本に帰国したもののこの年は天候不順で関東近辺の航空ショーは軒並み悪天、2004年には再び国外追放になったので、私がT-4ブルーインパルスを見たのは本当に数回しか無いのです。勿論冬季オリンピックとかワールドカップ、横浜港などのフライトも見てません(オリンピックだけは米国で生中継見たが)。
このままで行くと日本人でありながら10年以上ブルーインパルスを見ていない...という非国民な事態になるのは必至。
悲しい事故や、愛しのカラースモーク廃止にもめげず、低く、綺麗に飛んでいて下さい、また会える日まで。

T-4 Blue Impluse 3 ship loop

引き続き6機による演技を行うT-4ブルーインパルスだが、T-2とは最初から別組織として運用した為、斬新な構成は4+2にとらわれず、幅広いバリエーションの演技を、間を余り空けることなく行う事が出来るようになった。写真は新たにT-4になってから採用された3機構成による演技。
アメリカ空軍のサンダーバーズだけでなくブルーエンジェルス(ダブルファーベル)や欧州勢(キューピット、コークスクリューなど)も参考にした上でオリジナル(スタークロスなど)も加わる演技は完成度が高い。

T-4 Blue Impulse Double Farbel

ダブルファーベル中の1〜3番機(3番機は画面外)
新田原の駐車場地区はとても近い。
一般公募による塗装はF-86の上面配色を踏襲し、上下で青と白を入れ替えている。世界のアクロチームで塗装ベスト3を選べ、と言われば1.T-4ブルーインパルス 2.スノーバーズ 3.パトロイユ・ド・フランスだ。ちなみにワースト1は勿論T-2ブルーインパルス。

T-4 Blue Impulse rolling combat pitch

F-86時代から変わらないシメの演技、ローリングコンバットピッチ、略してロリコン。

bimpulse09_l.jpg

で、T-4ブルーインパルス紹介の文章を書いていたのが2005年。
この時点で最後にT-4ブルーインパルスを見てから既に9年経っていたのだが、結局、帰国して航空際で再びT-4ブルーインパルスを見たのは2009年のことだった。その間何と13年。
13年ぶりに見るブルーインパルスは、相変わらずの素晴らしい演技に更に磨きがかかり、高度は心配した程は高くなってないし、演技の間隔が短くなってテンポが良くなった感じがする。昔ならテンポが良くなればなったで、フィルム交換の時間が無い!とか不満を言ってたのだろうが(サンダーバーズの時がそうだった。勝手なもんだ。)今やデジカメ。
いい時代になったものだ。ただ、カラースモークで無くなったのは事前に知ってたとはいえやはりショックだった。
さようなら、銀塩カメラ。さようなら、カラースモーク。




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