飛行機は極めて安全な乗り物である、と言われている。 統計的に事故に遭う確率は他の乗り物に比べてとても低い、とも言われている。 だから僕も出張や旅行で旅客機に乗るとき、「まさか(自分に限って)落ちないだろう」と安心して乗る。 (ユタ州南部を旅行した帰り、小型プロペラ機でロッキー山脈越えしたときは揺れて揺れて落ちるかと思ったが) しかし、重力に逆らって飛行するものである以上、常に墜落の危険性と隣りあわせなのも事実。 特に軍用機やアクロバット機は、旅客機に比べ安全マージンの取り難さ、性能を極限まで使いミスの許されない飛行をするため、墜落・事故は起き易いのではないか。 長年航空ショー、飛行場に通っていると、やはり「危ない場目」「墜落」に遭遇してしまう。 この個人で立ち上げているホームページで事故に対する警鐘、などという事は出来ないのは百も承知である。 ここに並んだ写真は「記録」であり、それ以上でも以下のものでもない。
|
|
これは1996年の小松航空際での撮影で、大人気の航空ショーだけに目撃された方も多いのではないか。 306飛行隊のF-4ファントムがタッチアンドゴーのデモをする最中, 一機が接地直後ドラッグシュート(パイロットシュート)を開いた。 これが操作ミスなのか故障なのか判らないが、パイロットは気づかない様子でそのまま離陸を試みる。アフタバーナーの音が大きくなるのが聞こえるが、同時に、望遠レンズで覗くと機体が殆ど加速・上昇していないのも判る。 やっと気づいたパイロットがドラッグシュートをやっと切り離す。機体が一気に加速するのが判る。 後続機もタッチアンドゴーのため着陸直前だったが、滑走路に舞い降りたドラッグシュートを避けるためゴーアラウンドとなった。(写真は拡大・トリミングしてあります)
Top
|
|
1999年のリノ・エアレース Reno Airrace。レース3日目にあたる9月18日の土曜日は曇り気味で、写真が映えないので、カメラはしまって、観客席(自由席)の上のほうに陣取ってレースとエアショーを眺めるだけにした。 たまには肉眼で見るのも良いものだ。 プログラムがどんどん消化され、残るはこの日最後のUnlimitedクラスのレースと、リモートショーのサンダーバーズだけになった。 アンリミテッドだけは珍しい(この日を最後に、もう見られない)レーサーもいるだろうとカメラを出す。 レースの為にタキシングする機を追うが、やはり曇り空で写真栄えしない。 参加機の中に、2重反転プロペラを付けた38番 Miss Ashley U が見える。 今になって考えてみると不思議だが、この機体だけタキシー中の写真を撮影していた。 前の年の決勝戦に出たムスタング改造機で、2重反転プロペラが妙に強そうだったのでレース中の写真を撮っていたし、応援もした(妻とカケをして僕はこっちを応援してた)が結局大したこと無かった。アピールの強い機体だが、「もう今年はお前の応援はしないぞ」。 レースが始まる。遥か彼方の後方から、ペースメーカーのT-33に先導された編隊が周回コースに向かって来るのが見える。 相変わらず天気が悪い。もうカメラはしまっても良かったが結局膝の上に置いたままだ。 エアバンドではGentlemen, we have a raceという声が流れる。T-33だけが急上昇して離脱、残りの機は一直線にレーストラックに向けて降下する。いよいよレースの始まりだ。 ムスタングがマーリンエンジン独特の音を響かせてあっという間に過ぎていく。シーファーリーも負けていない。やはりアンリミテッドはスゴイ。痺れる。 多くの機が最初の周回を終わろうとしている時であろうか、僕はほんの一瞬、レースから目を離していた。と、隣のオヤジが突如 Oh Shit ! と叫んだ。周りも騒然とした。「何だ?」皆の見ている方向を見ると、機体がバラバラになり金属の破片が落ち葉のように空を舞っているのが見えた。瞬間的に膝の上に置いてあるカメラに手が伸び、殆ど無意識の内にシャッターを1枚だけ切っていた。「落ちた!」空中接触でもしたのであろうか? 地上が騒然となり救急車と消防車が破片の落ちた方向に向かい、陸軍のUH-1と民間ヘリは緊急輸送に備えてエンジンをかける。 信じられないことだが遠方で煙が上がっているにもかかわらず、イエローフラッグ(注意しながら続行、の意味)が振られ、レースは続行している。 もはや地上では誰もレースを見ておらず、落ちた機のパイロットの安否を気遣っている。 誰が落ちたのか?レースを続ける機を確認する。印象に残っていた2重反転プロペラがいない。 しばらくしてヘリのエンジンが止まり、急にあたりが静かになった。この後予定されていたサンダーバーズは中止、とのアナウンスが流れる。パイロットは助からなかったのだろうか? 後で判ったのだが、単機の金属疲労により尾翼が分離した空中分解事故で、パイロットの Gary Levitz は(恐らく空中にいる内から)即死、破片は近隣の住宅の庭にも降った。
この事故のNTSB (National Transportation Safety Board)の公式報告書(英文)を見るにはここをクリック(新しいウィンドウを開きます)
Top
|
|
空中分解墜落事故のあった次の日のリノ、空は青く晴れ前の日の曇り空とはうって変わって写真日和となった。 この日、4機による素晴らしい編隊曲技を見せてくれたカナダの民間アクロチームNorthern Lightsだが、演技が終了し、着陸したもののなかなか戻ってこない。 その内に一機が牽引されて戻ってきた。見ると尾翼が大きく破損している。地上でタキシング中に他の機(こちらはプロペラのみ破損)と接触したらしい。 ケガ人が出ない些細な事故だったのは幸い。 次の週のStocktonでの航空ショーでは、修理中の機体の代わりにどこから借りてきたのか塗装の違うExtra300がを混ぜて元気に編隊飛行した。
Top
|
|
北カリフォルニアに住んでいた飛行機ファンとしては、当時は9月中旬〜10月中旬が最も忙しく、かつお楽しみの時だった。 特に1999年は航空ショーの当たり年で、リノ、ストックトン、サリナス、フリートウィークと毎週たて続けに素晴らしい航空ショーが行われた。 1999年10月3日のサリナスはちょっと天気が悪かった(曇りではなく、近くの山火事の煙の為)が、サリナスをホームベースとする世界的に有名なショーンタッカーを始め、一流のスタントパイロットが素晴らしいデモ飛行の数々を披露する。 スポンサーのOracle社のロゴを大書きしたターボレイブンは、2週間前のリノ、前の週のストックトンに続いて3週連続で見るが、ダーボプロップのアクロ専用機という斬新な発想で、フラットスピンの途中そのまま水平飛行にリカバリー出来る(普通は一旦垂直降下して速度を稼ぐ)など、全く今までの飛行機の概念を一掃する飛行を披露する。 パイロットはウェイン・ハンドレーでアクロ飛行の大ベテラン。フラットスピン連続67回の世界記録(ただし別の機体で)も持っている。 最初の演技"一分で終わる科目"、離陸して垂直に8の字を書き、なんとそのまま着陸する、というパフォーマンスが始まる。着陸寸前、ちょっと降下の角度がおかしいな、と思ったらそのまま滑走路をほんのチョット外れた草地に突っ込み、機体の破片が飛散した。 それまでユーモアたっぷりに解説していたアナウンサーだが、OK, we have an accident と言った。 全ては目の前での出来事。余りに突然で突拍子の無い墜落で、写真を撮る間もなかった。 実際、2週間前にもリノで墜落死亡事故を目撃しているが、今回は人間の乗っている機体の胴体がそのまま落ちるのを目の当たりにしたのでリノの時よりもショックだった。 レスキュー隊が駆けつける。やがてアナウンスで「手を振っているパイロットが見える」と言うと、会場全体が拍手に包まれた。 パイロットは背中を強打したものの命に別状は無く、数日入院した後、現在はパイロット業に戻っている。 機体はご覧のように大破で結局同機の素晴らしい飛行が見られなくなったのは本当に残念。
この事故のNTSB (National Transportation Safety Board)の公式報告書(英文)を見るにはここをクリック(新しいウィンドウを開きます)
Top
|
|
1997年5月23日、Watsonvilleの航空ショーに出展するため空港にアプローチ途中、2マイル程ショートした空き地に墜落してしまったGee Bee レーサー。 墜落原因はオイル漏れによるエンジンの焼付・停止とプロペラの分離。 幸いパイロットは殆ど無傷。 墜落後、「とりあえず」飛行場まで運んできてハンガーに一時保管した時の写真。 胴体下部を中心に、漏れたオイルで汚れている。
この事故のNTSB (National Transportation Safety Board)の公式報告書(英文)を見るにはここをクリック(新しいウィンドウを開きます)
Top
|
|
訓練展示の予行演習が行われる、という情報が入ったので、1995年9月28日、会社を休んで百里基地へ向かった。残念ながら雨交じりの悪天候で予行は中止。でも折角来たから(当時私は群馬県に住んでいて百里までは一般道で4時間近くかかった)通常訓練の離着陸を見物する。悪天候なので写真は撮らない。 訓練を終了したRF-4EJ (F-4EJを偵察仕様に改造したもの)ファントムが一機づつ着陸する。と、その時、目の前を通り過ぎた瞬間,「パァン!」という大きい音がした。白い煙も見える。「な、何だ?」 左主脚タイヤのパンク(バースト)だった。ファントムはドラッグシュートを引いたまま急停止した。しばらくエンジンはかけたまま。 やがて消防車が到着、基地から沢山の人が来て写真を撮ったり,滑走路を調べたりと「現場検証」していました。 やがて、ファントムは牽引車に引かれてコロコロと基地に向かって転がっていきました。 大事にならなくて本当に良かった。 その後、滑稽だったのは基地から男女数名が、ホウキ(デッキブラシ?)と塵取りを手にランニングでやってきて、FOD(異物吸込)対策に滑走路のゴミ拾いをしていた事。 尚、滑走路閉鎖中、着陸待ちの機は霞ヶ浦近辺で上空待機していた模様。
Top
|