エアフォースワン
アメリカ合衆国大統領専用機について

(かなり重いです。ページがロードするまで気長に待ってください)


1.エアフォースワンの呼称について
  エアフォースワン、エアフォースツー、マリンワン、SAMといった米国要人輸送時のコールサインの使い分け


2.大統領専用機関連年表
  第二次世界大戦時から現在まで、歴史と供に歩んだ大統領専用機たち


3.歴代大統領専用機と主要要人輸送機解説
  VC-25A、VC-137といった超有名機はもちろん、日の目を見なかった大統領専用機、地味なサポート機も


4.主要要人輸送機性能要目比較
  航空機の性能の進歩と値段の高騰が一目で判る、歴代大統領専用機と大統領搭乗ヘリの比較。


5.大統領専用機運用組織
  エアフォースワン、マリンワンを飛ばしているのは誰だ?


6.大統領のお通りだ(オマケです。大統領専用機に関係ありません)
  現代の大名行列、ブッシュ大統領が目の前を通り過ぎていく。


7.政府専用機に乗るには....(オマケです。大統領専用機に関係ありません)
  って、別に乗りたくはないんですけど。


8.誰かこいつを止めろ....(オマケです。大統領専用機に関係ありません)
  自己チューな国民の、自己チューな国民による、自己チューな国民の為の政治


9.主な参考資料と関連リンク
  大統領専用機に関する日本一のリンク(を目指す)




1.エアフォースワンの呼称について

一般に「エアフォースワン(Air Force One)」は「大統領専用機」と解釈されるが、厳密にはアメリカ合衆国空軍機にアメリカ合衆国大統領が搭乗している時の無線コールサインである。
大統領が搭乗していれば機種・機番に関係なく、専用機であろうと無かろうと、空軍機である限り「エアフォースワン」のコールサインを使う。
従って「エアフォースワン」は特定の機種・機体を指すものではない。
(映画エアフォースワンのラストシーンでもMC-130がコールサインを変えてましたね。)

1953年にアイゼンハワー大統領の専用機VC-121A型 "ColumbineU" 48-610 (テールナンバー8610)、コールサインAir Force 8610が、たまたまイースタン航空8610便と同時刻に飛んでいた為混乱が生じ、以降大統領が搭乗している空軍機には専用の、「エアフォースワン」のコールサインが使われる事になった。
従ってVC-121の頃から「エアフォースワン」のコールサインが使われていたのだが、導入当初はそのコールサインの意味を知る人は少なく、広く一般に認識されるようになったのはケネディ政権からで、メディアが大統領専用機の事を「エアフォースワン」と呼んだ為である。

ボーイングVC-25A型 テールナンバー28000 (シリアルナンバー82-8000)が現在コールサイン・エアフォースワンとして使われる代表的な機体である。これはB747(いわゆるジャンボジェット)をベースに、大統領専用機として大幅に装備を変えたもの。

また、副大統領が搭乗している空軍機のコールサインはエアフォースツー(Air Force Two)である。こちらは現在は主にボーイングC-32A(B757の軍用型)が使われる。

VC-25AやVC-137は大型の機体であるが、コールサインに「ヘビー(Heavy)」は付けない。単に「エアフォースワン」「エアフォースツー」である。

エアフォースワンの運行はホワイトハウスのすぐ近く、Maryland州のAndrews空軍基地にある89th Airlift Wing (以降89th AWとする)が行う。
ここはエアフォースワン・エアフォースツーその他要人輸送任務SAM(サム=Special Airlift Mission)を担当する。
従って、同飛行隊の機体のコールサインは、エアフォースワン、エアフォースツーとして飛行する時以外はSAM+テールナンバーとなる。
例えば羽田空港にコールサイン「エアフォースワン」VC-25A 82-8000(テールナンバー28000)が到着し、大統領を降ろした後は、横田基地に回送されるが、この時はSAM28000のコールサインが使われる。
SAMはおそらくUncle Sam(サムおじさん=米国国家の事を指す)にも引っ掛けているものと思われる。

大統領が搭乗するヘリコプターは海兵隊HMX-1の機体で、この時のコールサインはマリンワン(Marine One)になる。
この任務にはVH-3D(H-3シーキング系ヘリの要人輸送型)とVH-60N(H-60ブラックホーク系ヘリの要人輸送型)が使われる。
これらVH-3DとVH-60Nは副大統領を乗せる「マリンツー(Marine Two)」、外国元首の搭乗する「ステートワン(State One)」にも使用される。
また、これら以外の時はHMX-1のコールサイン「ナイトホークス(Nighthawks)」で飛行する。
大統領が搭乗する時だけ、入り口横のスロットにプレデンシャルシール(大統領の紋章)をはめ込む。
同時多発テロの日、ブッシュを乗せてホワイトハウスに戻るVH-3Dは5機の影武者に混ざっており、全機にプレジデンシャルシールのプレートが差し込まれていたという。
ホワイトハウスの芝生に着陸した濃緑色のヘリから大統領が乗り降りするシーンはニュースなどでもお馴染み。
以前はヘリによる大統領移送任務を陸軍も担当しており、この時は「アーミーワン(Army One)」のコールサインだった。現在陸軍は同任務を実施していないのでこのコールサインも使われない。
海軍機に乗れば「ネービーワン(Navy One)」になる。
大統領は、警備等の関係上、就任期間中は公私を問わずエアフォースワンの使用が認められており民間機に乗る必要は無いが、ニクソン政権時には民間機で移動した事もあったと言われる。この時のコールサインは「エギュゼクティブワン(Executive One)」である。
これらコールサインはFAAで規定しており、要人とコールサインの関係をまとめるとこのようになる:

アメリカ合衆国大統領、副大統領及びその家族搭乗の際のコールサイン一覧
搭乗人物 空軍機に搭乗 陸軍機に搭乗 海軍機に搭乗 海兵隊機に搭乗 民間機に搭乗
大統領 Air Force One Army One Navy One Marine One Executive One
副大統領 Air Force Two Army Two Navy Two Marine Two Executive Two

大統領の家族
(大統領本人は搭乗しない場合)

Executive One Foxtrot
(ホワイトハウススタッフ、シークレットサービスが必要と判断した場合に使用)

副大統領の家族
(副大統領本人は搭乗しない場合)

Executive Two Foxtrot
(ホワイトハウススタッフ、シークレットサービスが必要と判断した場合に使用)


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2.大統領専用機関連年表

年月日

出来事
(黒:世界情勢他、赤:訪日茶:専用機関連緑:大統領退任・就任

大統領 指定大統領専用機
1933年3月4日 フランクリン・D・ルーズベルト第32代大統領に就任

フランクリン・D・ルーズベルト
(民主党)

(無し)
1933年

海軍がRD-2 Bu.9347を大統領が搭乗出来る様に配備した。(〜1939年まで)
陸軍がYC-30 33-0320 を大統領が搭乗出来る様配備した。(〜1938年まで)
結局大統領はどちらにも搭乗せず

1941年12月7日 日米開戦
1943年1月11日 カサブランカ会議出席の為ルーズベルト大統領がボーイング 314A Bu.48226/NC18605 "Dixy Clipper" に搭乗して大西洋を横断、最終レグはC-54で移動
1943年6月2日

C-87A 41-24159 "Guess Where II"を配備
(結局大統領は搭乗せず)

C-87A 41-24159
"Guess Where II"
(大統領は搭乗せず)

1944年6月12日 C-54C 42-107451 "Sacred Cow"を配備 C-54C 42-107451 "Sacred Cow"
1945年2月4日

ヤルタ会談(〜2月11日)
ルーズベルト大統領が専用機C-54C 42-107451 "Sacred Cow"に搭乗したのはこの時のみ。

1945年4月12日

ルーズベルト大統領死去、
ハリー・S.・トルーマン第33代大統領に就任

ハリー・S.・トルーマン
(民主党)

1945年5月8日 ヨーロッパ終戦
1945年7月26日 ポツダム宣言
1945年8月15日 日本降伏・第二次世界大戦終結
1947年7月4日 C-118 46-505 "Independense"を配備 C-118 46-505 "Independense"
1947年7月26日 C-54C 42-107451機上で国家安全保障法にサイン(これにより空軍が陸軍より独立)
1948年4月1日 ベルリン封鎖
1950年6月25日 朝鮮戦争勃発
1953年1月20日

ドュワイト・D・アイゼンハワー第34代大統領に就任
同時にVC-121A 48-0610 "Columbine II"配備

ドゥワイト・D・アイゼンハワー
(共和党)

VC-121A 48-0610 "Columbine II"
1954年9月10日 VC-121E 53-7885 "Columbine III"配備 VC-121E 53-7885 "Columbine III"
1959年4月4日 VC-137A 58-6970 "Queenie" 配備
1960年5月1日 ソ連領内でU-2撃墜
1961年1月20日

ジョン・F・ケネディ第35代大統領に就任
VC-118A 53-3240を大統領専用機に指定

ジョン・F・ケネディ
(民主党)

VC-118A 53-3240
1961年4月17日 ピッグズ湾事件
1962年10月10日 VC-137C 62-6000 配備 VC-137C 62-6000
1962年10月16日 キューバ危機
1963年11月22日

ケネディ大統領暗殺
リンドン・B・ジョンソン第36代大統領に就任

ダラス空港で駐機中のVC-137C 62-6000 機上で大統領就任宣誓

リンドン・B・ジョンソン
(民主党)

1963年11月25日 ケネディ大統領葬儀にてVC-137C 62-6000が上空飛行し翼を振って最後の挨拶
1964年8月2日 トンキン湾事件
1967年2月7日 ベトナム・北爆開始
1969年1月20日 リチャード・M・ニクソン第37代大統領に就任

リチャード・M・ニクソン
(共和党)

1969年7月21日 アポロ11号月面着陸成功
1972年2月21日 ニクソン大統領中国訪問(〜28日)
1972年5月22日 ニクソン大統領ソ連訪問(〜30日)
1972年6月17日 ウォーターゲート事件
1972年8月9日 VC-137C 72-7000配備 VC-137C 72-7000
1974年8月9日正午

ニクソン大統領辞任
ニクソンを乗せてワシントンDC→カリフォルニアに向かっているVC-137C 72-7000のコールサインがエアフォースワンからSAM27000に変更される
ジェラルド・R・フォード第38代大統領に就任

ジェラルド・R・フォード
(共和党)

1974年11月19日 フォード大統領来日(〜22日)田中総理と会談。現役米国大統領初来日
1975年4月30日 ベトナム・サイゴン陥落
1977年1月20日 ジェームズ・E・カーター第39代大統領に就任

ジェームズ・E・カーター
(民主党)

1979年6月25日 カーター大統領来日(〜29日)天皇陛下、大平総理と会談、経済サミット参加
1979年11月4日 イラン米大使館人質事件発生
1980年4月24日 イラン米大使館人質救出作戦失敗
1980年7月9日 カーター大統領来日(〜10日)大平総理国葬参列
1981年1月20日 ロナルド・W・レーガン第40代大統領に就任

ロナルド・W・レーガン
(共和党)

1981年1月25日

イランの米大使館人質解放
カーター元大統領が開放された人質に会いにVC-137C 72-7000でドイツへ。
開放された人質はVC-137B 58-6971「フリーダムワン」で帰国。

1981年8月19日 シドラ湾事件
1981年10月19日 暗殺されたエジプトのサダト大統領葬儀の為ニクソン、カーター、フォード元大統領がVC-137C 72-7000に搭乗
1983年10月25日 グレナダ侵攻
1983年11月9日 レーガン大統領来日(〜12日)天皇陛下、中曽根総理と会談
1986年3月26日 シドラ湾交戦
1989年5月2日 レーガン大統領来日(〜7日)経済サミット参加
1989年1月20日 ジョージ・H・W・ブッシュ第41代大統領に就任

ジョージ・H・W・ブッシュ
(共和党)

1989年2月23日 ブッシュ大統領来日(〜25日)大喪の礼参列
1989年12月20日 パナマ侵攻開始
1990年8月23日 VC-25A 82-8000 配備 VC-25A 82-8000
1990年12月20日 バックアップのVC-25A 92-9000 配備
1991年1月17日 湾岸戦争突入
1991年12月13日 ソビエト連邦解体
1992年1月7日

ブッシュ大統領来日(〜10日)天皇陛下、宮沢総理他と会談。
晩餐会で体調を崩し倒れ、
待機中のエアフォースワンがアラート体制になる。

1992年12月3日 ソマリア派兵
1993年1月20日 ウィリアム・J・クリントン第42代大統領に就任

ウィリアム・J・クリントン
(民主党)

1993年7月6日 クリントン大統領来日(〜10日)経済サミット参加
1994年8月5日 旧ユーゴ空爆開始
1996年4月16日 クリントン大統領来日(〜18日)橋本総理と会談。日米安保共同宣言
1997年5月27日 アイルランド上空でエアフォースワンがUPSの貨物機と3マイル程度まで接近
1997年7月25日 映画「エアフォースワン」封切
1998年1月28日 ワシントンDC上空で大統領搭乗のエアフォースワン(VC-137C 72-7000)がUSエア機と3.25マイルまで接近。同日、イリノイ州シャンペンのウィラード空港で離陸前、誘導路を曲がり損ねて脱輪、大統領は予備機VC-137C 62-6000に乗り換える。
1998年5月20日 VC-137C 62-6000 がアメリカ空軍博物館のあるライトパターソン空軍基地に着陸
1998年8月7日 ケニア・タンザニア米大使館爆弾テロ
1998年11月19日 クリントン大統領来日(〜20日)天皇陛下、小渕総理と会談
1999年3月24日 コソボ空爆
2000年6月8日 クリントン大統領来日(〜8日)小渕総理の葬儀に参列
2000年7月21日 クリントン大統領来日(〜23日)沖縄G-8経済サミット参加
2000年10月12日 USSコール撃破
2001年1月20日 ジョージ・W・ブッシュ第43代大統領に就任

ジョージ・W・ブッシュ
(共和党)

2001年9月8日 VC-137C 72-7000 レーガン図書館での展示準備に向けカリフォルニア州サンベルナルドへ向け最後の飛行
2001年9月11日

同時多発テロ発生
ブッシュ大統領は訪問中のフロリダを去り、VC-25A 82-8000でルイジアナ→ネブラスカ→ワシントンDCに急遽移動。経路テキサス州空軍 147FW 111FS のF-16戦闘機が護衛に付く。ちなみにブッシュは同隊でF-102のパイロットだった。この時予備機92-9000はメンテ中で稼動せず。

2001年10月7日 アフガニスタン空爆開始
2002年2月18日 ブッシュ大統領来日(〜19日)天皇陛下、小泉総理と会談
2003年3月19日 「イラクの自由」(←フザけるな)開戦
2003年5月1日 ブッシュ大統領、VS-35"Blue Wolves所属のS-3Bバイキング、コールサイン「ネイビーワン」でCV-72空母エイブラハム・リンカーンに着艦
2003年10月17日 ブッシュ大統領来日(〜18日)小泉総理と会談

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3.歴代大統領専用機と主要要人輸送機解説
 
3-1.大統領専用機 - 陸軍航空隊/空軍機

コンソリデーテッド C-87A 41-24159 "Guess Where U"

B-24爆撃機の輸送型C-87Aが1943年に初の大統領専用機に充てられたが、結局1度も大統領は搭乗しないまま(ただし大統領夫人は搭乗した)、1945年に退役し、直後スクラップにされてしまった。
名前の末尾にUが付くが、関連するGuess Whereという機体が無い事から、名前は"Guess where to?" (何処へ行くか当ててみな)に引っ掛けていると思われる。

ダグラス VC-54C 42-107451 "Sacred Cow"

DC-4旅客機の軍用版、C-54スカイマスターの要人輸送型で、大統領が初めて実際に搭乗した大統領専用機。
"Sacred Cow"(批判を許さない、神聖なもの)の名前は公式なものではないが、厳重な警備の様子から関係者がこう呼んでいる内に定着した。
脚の不自由なルーズベルト大統領の為、車椅子のまま乗降出来るエレベーターが備えられている。
ルーズベルト大統領は1度だけ、ヤルタ会談出席の際に使用したが、帰国直後に病死してしまい、後任のトルーマン大統領が引き継いで使用した。
退役後スミソニアンが引き取ったがオハイオ州のデイトン近郊、ライトパターソン空軍基地内にあるアメリカ空軍博物館(以降空軍博物館と略)に移管されてルーズベルト使用時の状態に復元され、機内が(透明アクリル板越しに)見学出来る。
Sacred Cow Elevator
空軍博物館に展示されている"Sacred Cow"。
車椅子を使用していた大統領の為にエレベーターが付けられた。
Sacred Cow State Room
VC-54C後部にある大統領の部屋。ヤルタ会談出席直後、大統領は病死してしまった。

ダグラス VC-118 46-0505 "Independence"

前回、Sacred Cowという皮肉を込めた名前が大統領専用機に定着してしまったのに懲りた陸軍航空隊は、今度は最初から"Independence"という愛国心丸出しの公式の愛称を付けた。
これはトルーマン大統領の出身地がミズーリー州インディペンデンスで、また、機体の空軍納入日が7月4日独立記念日"Independence Day"であることに由来する。
鷲をモチーフにした、歴代大統領専用機のなかでも最も派手(悪趣味、とも言う)な塗装が施されていた。くちばしと眼の色は当初黄色で、後に白くなったようだ。
この塗装は本来アメリカン航空用にデザインしたものだが結局採用されなかった(ただし同航空のマークには現在も鷲が使われているのはご存知の通り)。
機体はDC-6の軍用版C-118リフトマスターの要人輸送仕様。
現在は空軍博物館に展示されていて、アクリル板越しに機内が見られる。
Independence
空軍博物館に展示されている"Independence"。派手な塗装がひときわ目を引く。
Independence State Room
執務室に座るトルーマン大統領。

ロッキード VC-121A 48-610 (48-0610) "Columbine U"

L749コンステレーションの軍用型、C-121Aコンステレーションの要人輸送型。
1953年にアイゼンハワーが大統領に就任と同時に大統領専用機となった機体。
それまでの専用機が、最初から大統領専用機としてメーカーから納入されたのとは異なり、本機は大統領就任前からSAMに就いていた。
アイゼンハワーはトルーマンの使っていたC-118A "Independence" を専用機に使う事を拒否し、大統領に就任する際C-121Aを指定、内装と装備を変更して大統領専用機とした。
アイクがC-121系を指定した理由は、NATO軍総司令官だったころに乗っていたC-121A 48-614 "Columbine"が気に入っていた為で、その時のパイロットを大統領専用機のパイロットに指定もした。
48-614 Columbine と48-610 Columbine U は同ロット生産の同型で、無塗装・地味な外観もそっくり。ただしColumbine Uは大統領専用機として内装、通信装備など様々なアップグレードが施された。
本機はテールナンバー8610なので、エアフォース8610として飛行していたがイースタン航空8610との混同事件が発生し、後に「エアフォースワン」のコールサインが使用されることになった。
導入翌年の1954年には後継のColumbine Vが導入され、48-0610はバックアップ機となり、その後1968年に退役しデビスモンサン空軍基地に保存、最後はパーツ取りで終わる所だったが、機体の重要性を認められ1990年には民間の手で飛行可能状態に復元され、現在はニューメキシコ州のサンタフェ空港に置かれている。
尚、Columbine(コランバイン)は和名を「おだまき」と言い、コロラド州花である。これはアイゼンハワー大統領夫人がコロラド州出身であることに由来する。
最近では飛行機や花の名前よりも、1999年4月に死者13名という米国史上最悪の学校での銃乱射事件が起きた、コロラド州リトルトンのコロンバイン高校として悪名高い。
ちなみに初代Columbine, 48-0614の方はアイゼンハワー司令官専用機の任を解かれた後、ベルリン空輸に使われ、現在はアリゾナ州のPima航空宇宙博物館に展示されている。
また、このロットのコンステレーション(48-0608〜0617)の多くがVIP任務に就いたが、現存しているのは:
48-608:飛行可能(民間レジN608AS)
48-609:MATS Connieとして飛行可能(民間レジN494TW)→詳しくはこちら
48-610:Columbine Uで飛行可能(民間レジN9463)
48-612:ヨーロッパで飛行可能(米国民間レジはN749NL)
48-613:マッカーサー将軍の専用機"Bataan"で現在はアリゾナ州グランドキャニオン近くのプレーンズオブフェーム博物館に展示
48-614:初代ColumbineでPima航空宇宙博物館に展示
と、驚くべき生存率である。レシプロ4発機は飛行維持に大変な費用がかかると思うが、是非この美しい機体を末永く飛ばして欲しい。
Colombine
これは大統領搭乗機ではないが、後に大統領となるアイゼンハワーがヨーロッパ連合軍総司令官だった頃に搭乗していたロッキードC-121A "Columbine" 48-0614。
大統領専用機Columbine II 48-610 と同じロットの機体で、外観・塗装等はそっくり。
Pima航空宇宙博物館に展示されている。

ロッキード VC-121E 53-7885 "Columbine V"

アイゼンハワー政権時代の1954年に、Columbine Uの後継として導入された機体。E型はこれ一機のみ。VC-121Aと比べると胴体延長、角型窓付きキャビン、エンジンの高出力化、通信装置の向上などが相違点。
アイゼンハワー退任後も要人輸送に使われ、1966年に退役した。現在は空軍博物館に展示され、透明アクリル板越しに機内が見学出来る。
VC-140B Jetstar
空軍博物館のプレジデンシャルエアクラフトハンガー(とは言っても大統領専用機、搭乗機以外も展示されている)の様子。
一番奥の機体がアイゼンハワー大統領の専用機 VC-121E "Columbine III" 53-7885。
Columbine III State Room
VC-121E機上のアイゼンハワー大統領。

ダグラス VC-118A 53-3240

ケネディが大統領に就任したと同時に大統領専用機に指定された機体。
Colombine U同様、最初から大統領専用機として納入されたものではなく、1958年12月からSAMに使われていたもの。
機種はDC-6Bの軍用型で、トルーマンの専用機Independenceと同系だが塗装が違うと印象もかなり異なる。
キャビン内を改造し執務室を設けた。ケネディとジョンソン大統領が使用し、特にVC-137が離着陸出来ない空港に行くのに使われた。
1967年8月には89th AWを離れ、1975年6月に退役。
現在はアリゾナ州のPima航空宇宙博物館に展示されており機内も公開されている。機内見学は知識の豊富な退役軍人のボランティアガイドが付き面白い話が聞けるし、空軍博物館と違い目障りなアクリル板が無い(通路と椅子を隔てる手すりはある)など好感が持てる。
VC-118A
Pima航空宇宙博物館に展示されているケネディ大統領の専用機、VC-118A。
VC-118A State Room
後部左側にある大統領執務室。
VC-118A Telephone
大統領用の電話。
VC-118A Sofa
通路を挟んで執務室反対側(右側)には、仮眠も取れる長椅子がある。壁にはプレジデンシャルシール(大統領の印章)がある。
VC-118A Kitchen
結構広いギャレー。通路に面している。

ボーイング VC-137C 62-6000

ケネディ政権の1962年に配備されたテールナンバー26000で、大統領専用機として製造されたはじめてのジェット機。
現在のVC-25Aにも施されている白・青・薄青・金線を配した機体塗装が採用されたのも本機からで、このデザインはフランス生まれの高名な工業デザイナー、レイモンド・ロウリーによるもの。
エアフォースワンとして歴史的に大変有名な機体で、ケネディ大統領がダラスで暗殺された後、ジョンソン副大統領が大統領就任の宣誓をダラス空港に駐機する本機内で行ったのは特に有名。
就航当時、大統領の部屋はそれまでの大統領専用機同様、機体後方寄りにあった。
1963年11月22日 ケネディ暗殺後、亡くなった大統領の遺体を貨物室でアンドリューズまで運ぶのは忍びないと感じたクルーは、機体後部の仕切りと椅子4席を取り外してキャビン内に棺が積めるようにした。
ダラスを飛び立つ前、ジョンソン大統領が機上で大統領就任の宣誓をした。
ジョンソン大統領は同乗者が見える様、コンパートメントの仕切りを透明アクリルに変え(プライバシーが必要な時はカーテンをひく)、また同乗者の座席を後ろ向き(大統領の部屋に向けて)に変更した。
ニクソン大統領の時代にオーバーホールと内装変更が行われ、大統領の部屋が前方に移された。また、この時、大統領の命令により、機内の電話を録音する装置を全部外したが、後に盗聴事件と録音テープが原因で辞任に追い込まれるニクソンには皮肉なエピソードである。
26000に愛称は付けられず、メディアは単に「エアフォースワン」と呼んでおり、この呼称が広く一般に認知されるようになった。
建国200周年を5年後に控えた1971年にはニクソン大統領が公式の名前Spirit of 76を付け、機首にも文字が入った(ただしこの名前は一般に広く認知されなかった)。
もう一機のVC-137C 72-7000(テールナンバー 27000 )導入に伴い26000は大統領専用機のバックアップとなったが、ニクソン大統領は機内レイアウトの好みもあり26000の方にもよく搭乗した。
後にVC-25A 導入により、26000 は副大統領搭乗機エアフォースツー、その他要人輸送として使用されるようになる。
C-32A導入に伴い1998年4月に空軍より除籍。
除籍直後の5月のメリーランド州アンドリューズ空軍基地オープンハウスでは機内を一般公開した。この時は歴史的機体の機内初公開ということでスゴイ人気、しかも機内が暑くならない様一度に入れる人数を制限していることもあり、機内に入るまでの行列待ちは2時間以上。私の前に並んでいる親子が"Disneyland!"と言っていたが、東京を含めどこのディズニーランドでもこれほど待ったことは無い。
現在は空軍博物館に展示されているが、保護の為通路と各部屋、座席との間が透明アクリル板で仕切られてしまい、まともに機内撮影出来るような状態では無くなってしまった。
ちなみに26000の機番が、アドルフ・ヒトラー総統の専用機Ju-52/3m D-2600 と似ている、と思うのは私だけだろうか。

VC-137C 62-6000の機内
SAM 26000 Inside - The State Room SAM 26000 Inside - The State Room SAM 26000 Inside - Meeting and Family Room SAM 26000 Inside - Meeting and Family Room SAM 26000 Inside - Staff Meeting Seat
SAM 26000 Inside - Front of State Room
afonemp.gif
SAM 26000 Inside - Staff Meeting Seat
SAM 26000 Inside - Front of communication room SAM 26000 Inside - Staff Seat
SAM 26000 Inside - Cockpit SAM 26000 Inside - Staff Seat
SAM 26000 External View - Door with Seal SAM 26000 Inside - Galley
SAM 26000 External View - Forward entrance SAM 26000 External View - Front SAM 26000 External View - Rear 垂直尾翼 - クリックして大きな写真 SAM 26000 External view - View from rear door

*1この写真の左に見える壁で仕切られた区画が通信室だがアンドリューズ空軍基地オープンハウスでは公開されなかった(空軍博物館の展示では見られる)。

*2(パネルの説明):この大統領部屋は、ケネディ以降全ての大統領に使用された。

*3(パネルの説明):この座席は、ニクソン、フォード、カーター各前大統領が揃ってエジプト大統領Anwar Sadatの葬儀に列席する時に使用した。

*4(パネルの説明):1963年11月22日、ワシントンDCに飛び立つ前に、ジョンソン副大統領が大統領就任宣誓をここで行った。

VC-137C 62-6000 の歴史(展示機横にあった説明板を邦訳したもの)

C-137C テールナンバー26000は35年以上に渡りアメリカの指導者に仕えた。
本機が乗せた乗客は、J.F.ケネディーからクリントンまでの全ての大統領、20世紀の、最後の1/3の殆どの政府役員、世界各国の国王・女王・首脳を含む。
本機はアメリカの偉大なる勝利も、悲劇をも目撃してきた。

・1962年10月10日 26000がアンドリューズ空軍基地に到着。本機は大統領専用機として製造された最初のジェット機。空軍の持つ要人輸送機の中では、最も早く、遠くまで飛べた。

・1962年10月12日 最初の任務として、国賓の王子を迎えにリビアのWheelus空軍基地に赴く。

・1962年11月10日 エレノア・ルーズベルトの葬儀の為、ケネディー大統領が初めて搭乗。

・1963年5月18日 米国の使節がモスクワに行く際、本機はそれまでの速度記録30種類を塗り替えた。これには米国〜ソ連間の無給油速度記録も含まれる。

・1963年6月 ケネディがアイルランドとドイツに飛び、有名なIch Bin Ein Berlinerの演説を行う。

・1963年11月22日 ケネディ暗殺後、乗客が亡くなった大統領の遺体を貨物室でアンドリューズまで運ぶのは忍びないと感じ、機体後部の仕切りと椅子4席を取り外して棺が積めるようにした。
ダラスを飛び立つ前、ジョンソン大統領が機上で大統領就任の宣誓をした。

・1969年7月 ニクソン大統領が本機で6ヶ国13日訪問、途中アポロ11号のクルーに合いに立ち寄る。

・1970年 ヘンリーキッシンジャーが北ベトナムの官僚と隠密に計13回会う時の最初に本機を使用。これらの任務は国防省、中央情報局長官にも内密であった。

・1971年 ニクソン大統領が、きたる建国200年に備え、26000に公式の名前 Spirit of 76 を与える。

・1972年2月 ニクソン大統領が歴史的な中国へのJourney for peaceへ行く

・1973年1月24日 国葬を終えたジョンソン元大統領の遺体がテキサスに運ばれる。

・1981年10月 ニクソン、フォード、カーター各元大統領がエジプト大統領アンワーサダトの葬儀に参列

・1983年3月 エリザベス女王U世が米国西海岸を訪問

・1997年6月28日 アルブライト国務長官が香港中国返還セレモニーに招かれる

・1997年9月 大統領夫人ヒラリークリントンがマザーテレサの葬儀の為インドのカルカッタを訪問

・1998年3月24日 エアフォース2最後のミッションでゴア副大統領が搭乗

・1998年4月1日 26000が空軍より除籍
VC-137C 62-6000 Communication room
空軍博物館に移動してから撮影したVC-137C 62-6000の通信室。
アクリルのパネルが恨めしい。
通信オペレーターは2名。VC-25Aでは3名が操作するようだ。
VC-137C 62-6000 Engine
VC-137C 62-6000のエンジン。排気口上部にある、円錐形のフェアリングカバーが付いているのが対赤外線ミサイルジャマー?各エンジンに付いていた。
1960〜70年代に撮影された写真では見当たらず、後になって追加した様だ。



ボーイング VC-137C 72-7000

62-6000の後継機で1972年に導入。
62-6000同様、建国200周年の1976年までの間はSpirit of 76の文字が機首に書かれた。
これまでの所本機が大統領専用機として使われた期間が一番長く、仕えた大統領の数も一番多い。
ただし、この間、2期勤め上げたのはレーガンだけである。
本機は退役後、カリフォルニア州にあるレーガン記念図書館に引き取られ、現在展示に向け準備中である。
基本的に62-6000と同一仕様で外観上はテールナンバー以外同じ。内部配置などは若干異なる。

ボーイング VC-25A 82-8000, 92-9000

現在大統領専用機に指定されているのがVC-25Aで、ニュースや映画で、また最近は「テロの標的の一つだった」と一時期伝えられすっかり有名になった。
プライマリー(エアフォースワンとして優先的に使われる)の82-8000 (テールナンバーは28000)と、予備機である92-9000 (テールナンバーは29000)の2機があり同一仕様・同一装備。
シリアルナンバーは、発注当初は調達年度末尾2桁-4桁数字による標準的な空軍のもの、すなわち86-8800、86-8900のシリアルナンバーであった。
後に各々82-8000,92-9000に変わったが、これはVC-137Cからテールナンバーが26000, 27000, 28000, 29000 と続く様に後から変えた為。
予定ではレーガン政権中に導入されるはずであったが、大幅な納期遅れと予算オーバー(こういうのは私の仕事でも日常茶飯事....)によりレーガンは結局搭乗出来ず、費用オーバー分の多くはボーイング社が負担したものの、ブッシュも他の予算を調整しなければならなかった。
ベースとなった、民間旅客型であるB747-200系とは、以下が異なる:
・内装
大統領の寝室、執務/食事の部屋、家族の部屋、随行要員の部屋、緊急医務室に変えられるオフィス、会議室、シークレットサービス席、随行メディアの席等
・空中給油可能
機首に空中給油口を増設した為の膨らみがある。空中給油は航続距離を伸ばすというよりは、むしろ空中待機した方が安全と判断された場合用。
これにより、公式発表データでは72時間連続飛行が可能。実際には更に長く飛べるとも言われる。燃料は給油出来てもオイルは補充出来ないので潤滑に特別な工夫がされていると言われる。
ただし今までの所、大統領が搭乗中に空中給油が行われた事は無いと言われる。
・電装は、核爆発によるEMPから守るシールド付。機内総配線長は旅客型の2倍の、380km。
この辺が、大幅な納期遅れを起こした理由とも言われる。
・2箇所にあるギャレーは合計で一度に100人分の食事を用意可能。
食材は隊員が地元のスーパーに買出しに行く。この時は私服で民間人のフリをして行動し、同じ店でたて続けに買出しはしない。
ナショナルジオグラフィックのビデオで、エアフォースワン機上で出される食事やが映ってたが、典型的なアメリカの食事でスゴくマズそう。ケーキなんて毒々しい色のデコレーション入ってるし。最近ではホワイトハウスでブッシュがプレッツェルを喉に詰まらせていたが、これも市販品でマズい。大統領になってもこんなマズい物を食べているアメリカ人って....私はこの時、大統領にならなくて良かったと本気で思った。
・2000食の食料貯蔵が可能
・タラップを装備
これは設備の無い飛行場でも発着出来る様配慮したもの。
通常、訪問先ではメディア映りを考え、タラップ車を横付けして、大統領は前方左の乗降口から乗降する。この時、タラップ最上段から手を振るのが恒例。
しかし地元アンドリューズなどではタラップ車を使わず、大統領はメインキャビンレベルから機内の階段を使って貨物室レベルに降り、そこから備え付けの階段で出入りする。この時の出口は胴体左側、プレジデンシャルシール(大統領の紋章)の後ろにある。胴体後部にもタラップ装備の出入口がある。
・貨物室への荷物積み込みコンベア(バゲージローダー)を装備
・高度な電子機器及び通信機器を搭載
通信室はアッパーレベルの、コックピットの後ろに位置する。オペレータは3名+交代要員1名の様だ。機外には増設されたアンテナが沢山見える。
詳細は公開されていないが、同時多発テロの時、エアフォースワン上で思った程の情報収集と連絡が出来なかった事から機器のアップグレードが計られている。
・防御装置付
機密扱いで公開されていないが、各エンジンパイロン後ろと、機体最後尾のAPU排気口上に赤外線ミサイルジャマーがあるのが確認出来る。
「エアフォースワン」「ニューヨーク1997」といった映画に出てくる脱出ポッドは無いとされる。また、パラシュートも実機では搭載していないものと思われる。

VC-52A landing at Haneda Airport, Tokyo Japan
羽田のR/W34Rに着陸するVC-25A(92-9000)とビッグバード
3-2.大統領搭乗機(専用機以外)、その他要人輸送機 − 陸軍航空隊/空軍機

カーチス YC-30

カーチスYC-30コンドルは双発の複葉機。アメリカ陸軍航空隊では2機(33-320,33-321)を1933年から導入して要人輸送に使用した。大統領を乗せる用意もあったが、結局大統領が搭乗する事は無かった。

エアロコマンダー U-4B

L-26の軍用版で、1956年〜1960年までの間、アイゼンハワー大統領が主にホワイトハウスと、自宅療養しているゲティスバーグの間の短距離移動に使用、その後も要人移送に使われた。
現在55-4647が空軍博物館に展示されている。
U-4B Aero Commander
空軍博物館にて。

ベル UH-13J

空軍がヘリによる大統領移送を検討して、初めて導入したヘリコプターがベル47Jの軍用型UH-13J。
1957年3月に57-2728と57-2729の2機が納入され、ホワイトハウスの庭で何度かデモ飛行した後、57-2729の方に1957年7月13日にアイゼンハワーが搭乗し、これが現職米国大統領初のヘリ搭乗となった。
シークレットサービスが機の安全性に疑問を呈した為、結局大統領が搭乗したのはこの1回限りで、以降ヘリによる大統領移送は陸軍と海兵隊(後に海兵隊のみ)が担当する事となり、2機のUH-13Jは要人輸送に使われた後1967年に退役し、57-2729はスミソニアンに、57-2728は空軍博物館に引き取られた。
UH-13J
空軍博物館にて。

ロッキード C-140B/VC-140B

VC-140は民間用のロッキード1329型の軍用型で、空軍は要人輸送、一般人員輸送、飛行場設備点検の為1961年よりA,B型合わせて16機を導入。
内11機が89th AWに所属(VC-140B型:61-2488,61-2489,61-2490,61-2491,61-2492,61-2493計6機及びC-140B型62-4197,62-4198,62-4199,62-4200,62-4201計5機)。
大統領の近距離の移動や、VC-137が着陸出来ない飛行場への移動、その他政府要人の移送に使用した。
1987年には全機退役した。
VC-140B
Pima航空宇宙博物館に展示されているVC-140B。
VC-140B Jetstar
こちらは空軍博物館に展示されているVC-140B 61-2489。ジョンソン大統領も搭乗した。
Pimaの機体とは塗装が異なる。

コンベア VC-131H

コンベア580の軍用型。双発のターボプロップ機で、89th AWは4機(54-2815,54-2816,54-2817,55-0299)を1977年まで運用、主にジョンソン大統領が搭乗した。

ビーチ VC-6A 66-7943

一見何の変哲もない民間の双発小型機にしか見えないが空軍所属で、これもエアフォースワンのコールサインで飛行した。
LBJことジョンソン大統領が、テキサス州のバーグストーム空軍基地(現在のオースチン国際空港)から自分の牧場へ帰る時使った機体で、別名「レディバードスペシャル」
レディバード(てんとう虫)は大統領夫人の事。
ジョンソン一家はイニシャルをLBJに統一したことで有名で、大統領本人がLyndon Baines Johnson、婦人がLady Bird Johnson、娘は Linda Bird Johnson と Lucy Baines Johnson。で、おまけに飼い犬はLittle Beagle Johnson
VC-6A型はこの一機しか導入されなかった。ジョンソン退任後は要人輸送に使われ1985年に退役。現在、機体は空軍博物館に展示されている。
VC-6A
空軍博物館にて。

ボーイング VC-135B/C

空中給油タンカーKC-135系と同様、ボーイング717の軍用型。
要人輸送用として62-4125,62-4126,62-4127,62-4129,62-4130の5機が89th AWに配備されていた。1992年まで使用。
窓が全く無い機体なので、中の人はさぞかし閉所に圧迫されたのでは無いだろうか。

ボーイング VC-137A/B

初のジェット要人輸送機として58-6970,58-6971,58-6972の3機が1958年に導入された。導入時はA型だったが、後にエンジン装換により全機B型仕様に改造された。
58-6970"Queenie"は執務室などの内装を持ち、VC-121よりも速度、居住性などが優れる事からアイゼンハワーが何度か使用し、大統領が初めて搭乗したジェット機となった。VC-118Aを大統領専用機としていた頃のケネディも、長距離には主に58-6970を使用した。
VC-137C 62-6000導入後は大統領専用機のバックアップ(予備機)となった。
1963年11月22日にはジョンソン副大統領が58-6970で地元テキサス州のダラスに向かい、後からVC-137C 62-6000で到着するケネディ大統領を待っていた。結局ジョンソンはその日の内に大統領となり、62-6000でワシントンに戻る事になる。
その後も通常のSAM機として長らく使用され、1993年6月14日に退役し、現在はワシントン州シアトルのボーイング社の航空博物館「ミュージアムオブフライト」に展示されており機内が見学出来る。
58-6971は通常キャビン型。1981年1月には開放されたイラン大使館事件の人質を、また1991年3月には湾岸戦争後釈放された捕虜を本国に連れて帰ったが、どちらの場合もSAMではなく、"Freedom One"という特別のコールサインで飛行した。こちらは現在アリゾナ州のPima航空宇宙博物館に展示されている。残念ながら機内は非公開。
58-6972も通常キャビン型。こちらは退役後部品取りに使われてしまった。
VC-137B
Pima航空宇宙博物館に展示されているVC-137B 58-6971。
VC-137CやVC-25A同様、本機にも各エンジンのパイロンに赤外線ジャマーが付いている。
機内が見学できないのは残念。

ボーイング C-137C

85-6973と85-6974 が要人輸送用に89th AWに導入された。外観や仕様はVC-137Cと同等だが内部は通常キャビン。現在は退役している。

ガルフストリーム C-20A/B

ガルフストリームVの軍用型で、VC-140B型の後継として導入。大統領の比較的近距離の移動、VC-25Aでは着陸出来ない飛行場への移動、副大統領や政府高官の移動などに使われる。

ガルフストリーム C-20C

ガルフストリームWの軍用型。C-20Cに関しては謎の部分が多く、高度な通信システムと防御装置を備え、大統領の近距離移動時にエアフォースワンとして使われる他、非常時に大統領の代わりに成り得る人を安全に移送する役割を担っているといわれる。C-20Cは3機(85-0049,85-0050,86-0403)が 89th AW 99AS に配備されている。

ガルフストリーム C-20H

ガルフストリームWの軍用型で、C-20A, Bの性能向上型。

ガルフストリーム C-37A

ガルフストリームVの軍用型。C-20の性能向上型。
97-0400、97-0401の2機が89th AW 99AS に配備されている。

マクダネルダグラス VC-9C

DC-9の軍用・要人輸送型で、通常キャビンを持つ。
89th AW 99AS が運用している。航続距離不足(22名の乗客を乗せて4000Km)などから後継にはボーイング737の軍用型、C-40Bが導入される。

ボーイング C-32A

ボーイング757-200の軍用版で1998年より導入。シリアルナンバー98-0001,98-0002,98-0003,98-0004の4機。
757は日本では殆ど見かけないが、米国の国内線ではポピュラーな存在。
副大統領が搭乗する「エアフォースツー」、大統領夫人搭乗をはじめ、要人輸送に使われる。
民間型のままでは航続距離7200Kmと不足(前任のVC-137Cよりも短い)な為、胴体に燃料タンクを増設して9300Kmに延ばしている。乗員は16名、乗客45名。
化粧室やソファーベッドが付いた執務室を備えており、立派な要人輸送機だが型式はVC-ではなく単にC-になっている。

ベル UH-1N

汎用へりのベストセラー、ヒューイは1976年から 89th AW 1st HS に配備されており、要人輸送やエアフォースワンのサポートクルー移送、その他近辺の捜索救難任務を担当。また、大統領他要人がホワイトハウスから緊急退避する場合に備えているが、実際に避難任務が発生したことはない。
UH-1 Presidential

1998年度アンドリューズ空軍基地オープンハウスで見かけた 89th AW 1st HS 所属のUH-1N。
一般駐車場から、ハンガー前の機体を望遠レンズにて撮影。
3-3.陸軍ヘリ

シコルスキー H-34C,VH-34D

ヘリ移動の安全性がシークレットサービスにより確認され、1958年から陸軍、海兵隊双方によりアーミーワン、マリーンワンとして使用された。
最初はH-34Cを使用しており、後にVH-34Dが導入された。
VH-34
アイゼンハワー大統領が搭乗したH-34C 57-01684。機内が覗けるが、内装までは再現されていなかった。

ベル  VH-1N

H-34系の後継としてVH-3と並行して陸軍、海兵隊双方が使用していた。

シコルスキー VH-3A

H-34系の後継として1961年に海兵隊、陸軍双方が運用した(詳しくは海兵隊ヘリの項参照)
1976年に陸軍は任を解かれた。

3-4.海兵隊ヘリ

シコルスキー H-34C,VH-34D

ヘリ移動の安全性がシークレットサービスにより確認され、1958年から陸軍、海兵隊双方によりアーミーワン、マリーンワンとして使用された。
最初はH-34Cを使用しており、後にVH-34Dが導入された。VH-3の導入により徐々に要人輸送任務を外れた。

ベル  VH-1N

H-34系の後継としてVH-3と並行して陸軍、海兵隊双方が使用していた。

シコルスキー VH-3A/VH-3D

H-34系の後継として1961年に導入されて以来、今日までマリンワンとして使われつづけている。
海兵隊部隊のHMX-1が運用し、主にホワイトハウス〜アンドリューズ空軍基地間、ホワイトハウス〜キャンプデービッド間の移送を行う。40年以上使われているが、VH-60D導入後の現在も、キャビンの広さなどからVH-3Dの方が国内の移動ではよく使われる。
大統領搭乗(マリンワン)専用という訳ではなく、副大統領(マリンツー)や外国の元首(ステートワン)も移送する。
機体は濃緑色で上部が白に塗られている事からVH-60共々「ホワイトトップス」と呼ばれる。
VH-3のビューローナンバーは
147141 YHSS-2からVH-3A仕様に改造
150610〜150617 当初はHSS-2Z型で、1962年にVH-3Aに呼称変更。
 内、150613と150617は陸軍の塗装
 内、150614はVH-3D仕様に改造
159350〜159360 VH-3D型
 内、159358 はNVH-3D 仕様に改造
Marine One
1998年度アンドリューズ空軍基地オープンハウスで展示されたVH-3D(159352)
現役の大統領搭乗機なのでロープを張っており、機内は公開していなかった。
写真をクリックすると圧縮の少ない、大きな写真が見られます。
この時、大きな写真の左下にあるのが大統領搭乗を示すプレートの拡大で、このプレートは着脱可能。

シコルスキー VH-60A/VH-60N

VH-3Dの後継として1988年に導入された。同じく海兵隊のHMX-1が運用。
空輸の容易さ(ローターを折りたたんでそのまま輸送機に搭載出来る)から海外・遠距離展開の際に使われる。しかし、国内の移動ではキャビンの広さなどから相変わらずVH-3Dの方が好まれて使われる。
VH-60も大統領専用という訳ではなく、副大統領や外国の元首も移送する。
型式に関しては当初VH-60Aで発注され、後にVH-60Nに呼称が変わった様だ。
合計9機が生産され、ビューローナンバーは163259〜163267。
この内、Bu.163267は1993年5月19日に整備後の試験飛行中MCASクアンティコ近郊で墜落、搭乗していた海兵隊員全員が死亡した。墜落の原因は整備ミスとされる。


ロッキードマーチン US101

次世代マリンワンVXXとして、競合していたシコルスキーのVH-92を破り2005年1月28日に採用がアナウンスされた。
2009年より稼動、最終的に2014年までに23機を調達する。
VH-3, VH-60に比べキャビンスペース、ペイロード、航続距離、最高速度、生存性等が大幅に向上する。
契約メーカーがロッキードマーチンとなっているがこれはもう明らかにアメリカ納税者を騙そうとするもので、元はヨーロッパのアグスタウェストランド設計のEH-101(警視庁も採用している)。
これを書いている2005年1月末現在、アメリカのメディアではすでにアメリカの大統領が他国設計製造ヘリに乗ることの安全性(本音は屈辱性)に対する議論で一杯の様子である。
ライセンス契約により主要部品の65%は米国製となるが、重要保安部品であるミッション、駆動系やローターはイタリア及び英国製となる。US101のサイトではこの2国を「強力な米国の同盟国」(だから部品を使っても安心)と言っているが、両国共に今やイラク戦争でアメリカに協力したことを本音では猛省しているはずなので苦笑してしまう。
次のマリンワンがイタリア&イギリス機なら、次世代のエアフォースワンはやはりこれか?(広いよ〜、大統領!)

3-5.海軍機、民間機

ダグラス RD-2 Bu.9347

1933年より、アメリカ海軍はダグラスRD-2ドルフィン(高翼・双発の水陸両用機)をルーズベルト大統領が搭乗出来る様に待機させていた。
これが最初の大統領用機であったが、結局一度も大統領移送には使用されなかった。

ボーイング 314A Bu.48226/NC18605 "Dixy Clipper"

民間のパンナムが運行していた機体だが、戦時中のためクルーと機体は海軍に徴用されており民間レジの他に海軍のビューローナンバーも割り当てられていた。
フランクリン・ルーズベルト大統領がカサブランカ会議でチャーチル首相に会いに行く時に使用し、これが歴史上大統領が公務で乗った最初の航空機となった。

余談になるが、確かにフランクリン・ルーズベルト大統領は公務で最初に飛行機に乗った大統領であるが、セオドア・ルーズベルト(フランクリンの遠縁にあたる)は大統領退任後の1911年にライトフライヤーに乗せてもらっており、これが米国大統領経験者として史上初の飛行となる。
また、アイゼンハワー大統領は航空機操縦免許を持つ初の大統領で、大統領になる遥か前、第二次大戦開戦前に何度か飛行していた。その後大統領専用機Colombine UやVを自分で操縦していた....ということは勿論無い。
ブッシュ大統領(親父の方)は第二次大戦中の1944年6月19日、軽空母サンハシント(CVL-30)からVT-51所属のアベンジャーを操縦して離艦後、日本軍機に撃墜され洋上に不時着水し、駆逐艦クラレンス・K・ブロンソン(DD-668)に救助された。
その後1944年9月2日には同じくサンハシントからアベンジャーで出撃、父島の無線基地を攻撃中、対空砲火に撃墜され洋上にパラシュート降下し、捕虜になりそうな所を潜水艦フィンバック(SS-230)に救助され、その潜水艦は爆雷攻撃を受けたりしながら1ヶ月後ハワイにたどり着いたという経歴の持ち主。
そのドラ息子、現ブッシュ大統領は、親父のコネでテキサス州空軍に入隊しF-102デルタダガー要撃機のパイロットとなりベトナム戦争徴兵を免れた、という噂である。2000年の大統領選挙の時は対立候補のゴア(当時副大統領)もやはり徴兵を免れていた為争点になることはなかったが、次回選挙の対立相手によっては蒸し返されることもあるのではないだろうか。
2004年10月11日追記:やはり争点になりましたね。というか、ブッシュの州空軍時代の経歴記録が「残ってない」なんて無茶苦茶。
2005年1月追記:で、結局再選されました。アメリカ大統領は親子で再選されない、というジンクスは破られた訳です。でも、まあ私としてはケリーだろうとブッシュだろうと、結局アメリカ国民が後押しする大統領はだれがなっても似たようなものだと思います。
むしろブッシュは失言とか、勘違い・いい間違いのスピーチが滅法多いので(いわゆるBushism)、今後もニュースで、インターネットでこれを見る楽しみが残る訳ですね。

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4.大統領専用機性能要目比較

大統領専用機要目

専用機
使用年

1943〜1944 1944〜1947 1947〜1953 1953〜1954 1954〜1961 1961〜1962

1962〜1972
(62-6000)
1972〜1990
(72-7000)

1990〜現在

シリアル
ナンバー

41-24159 42-107451 46-505

48-610
(後に48-0610)

53-7885 53-3240

62-6000
72-7000

82-8000
92-9000

メーカー Consolidated Douglas Douglas Lockheed Lockheed Douglas Boeing Boeing
型式 C-87A VC-54C VC-118 VC-121A VC-121E VC-118A VC-137C VC-25A

ベース
モデル

B-24 DC-4 DC-6 L749 L1049C DC-6B B707-353B B727-200
愛称 Guess Where U Sacred Cow Independence Columbine U Columbine V

Spirit of '76
(1971-1976)

Spirit of '76
(1972-1976)

(なし)
乗員(名)   7   7〜8   7〜8 18 26
乗客(名) 20 15 24 32 44   50 76
全長(m) 20.9 28.5 30.7 29.0 35.4 32.2 46.6 70.7
全幅(m) 33.5 35.8 35.8 37.5 37.5 35.8 44.2 59.6
全高(m) 5.5 8.4 8.7 7.0 7.5 8.7 12.9 19.3
全備重量(Kg) 25,000 36,000 42,000 48,000 60,000   144,900 375,000

エンジン
型式

P&W
R-1830-43

P&W
R-2000

P&W
R-2800

Wright
R-3350

Wright
R-3350-34

P&W
R-2800

P&W
JT3D-3B

GE
CF6-80C2B1

エンジン
出力

1,300Hp
×4基

1,450Hp
×4基

2,400Hp
×4基

2,500
×4基

3,400Hp
×4基

2,500Hp
×4基

8,100Kg
×4基

2,6000Kg
×4基

最高速度(Km/時) 480 480 580 560 600 580 1,000 1,100
巡航速度(Km/時) 390 390 510 480 530 480 900 900
航続距離(Km) 5,760 6,200 7,000 8,000 9,300 7,000 8,500

12,550
(空中給油可)

上昇限度(m) 8,500 9,100 9,500   10,200 9,400 12,700 13,700

調達価格
(米$)

    1,180,000   2,647,000 1,179,976 36,200,000

131,000,000



大統領搭乗主要ヘリコプター要目
使用年 1957 1958〜1970年代 1961〜現在 1988〜現在 2009年(予定)〜
メーカー Bell Sikorsky Sikorsky Sikorsky Lockeed Matrin
(Agusta Westland)
型式 UH-13J VH-34C/D VH-3D VH-60N US101
ベースモデル

47J
Ranger

H-34
Choctaw

H-3
Seaking

H-60
Hawk

EH101
Merlin
乗員(名) 1 4 3 4 2
乗客(名) 2 10 14 11 14以上
胴体全長(m) 11.3 14.2 16.5 19.5 19.3
全高(m) 2.8 4.4 5.1 5.1 6.6
主ローター径(m) 11.3 17.1 18.9 16.2 18.6
全備重量(Kg) 1,300 6,000 9,300 9,988 15,600
エンジン型式

Lycoming
O-435

Wright
R-1820

GE
T58-GE-402

GE
T700-GE-01C

GE
CT7-8E
エンジン出力 240Hp×1基 1,525Hp×1基 1,400Hp×2基 1,630Hp×2基 2,500Hp×3基
最高速度(Km/時) 170 200 267 288 309
巡航速度(Km/時) 160 160 225 240 280
航続距離(Km) 480 450 965 712 1400(空中給油可)
上昇限度(m) 5,200 2,900 4,410 5800 4600
調達価格(米$) 65,000 425,000 6,400,000 10,500,000 78,000,000

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5.大統領専用機運用組織

現在、アメリカ空軍の、AMC (Air Mobility Command - 司令部はIllinois州 Scott AFB) の下の、21st AF(21st Air Force - 司令部はNew Jersey州 McGuire AFB)傘下の、89th AW (89th Airlift Wing - 司令部はMaryland州 Andrews AFB)がエアフォースワン、その他政府要人輸送を担当する。

現在の89th Airlift Wing の組織と機材

親部隊 傘下の部隊 機材 任務

89th Airlift Wing
(89th AW)
Andrews AFB
Maryland州

Presidential Airlift Group VC-25A 大統領の米国内外の移送

1st Airlift Squadron
(1st AS)

C-32A 大統領を含む要人の米国内外の移送

99th Airlift Squadron
(99th AS)

(V)C-9C
C-20B
C-20C
C-20H
C-37A

1st Helicopter Squadron
(1st HS)

UH-1N 近距離の要人の移送、非常時の退避、捜索救難

この内、VC-25Aを運用するのは長らくPresidential Pilot's Office(PPO)と呼ばれていたが2001年4月10日にPresidential Airlift Groupに昇格。
以下に、アメリカ空軍における大統領専用機と運用部隊、パイロットの歴史を示す:
大統領 大統領専用機

大統領専用機
パイロット

大統領専用機
運用組織

大統領専用機
運用飛行場

フランクリン・D・ルーズベルト



503rd Army Air Base Unit
Brass Hat Squadron


1943年6月2日〜
C-87A 41-24159
"Guess Where II"

Major Henry T. "Hank" Myers Washington National

1944年6月12日〜
C-54C 42-107451 "Sacred Cow"

1945年4月12日〜
ハリー・S.・トルーマン

1947年7月4日〜
C-118 46-505 "Independense"

1948年1月6日〜
Colnel Francis T. Williams

1948年10月1日〜
1254th Air Transport Squadron

1952年8月1日〜
1254th Air Transport Group

1953年1月20日〜
ドゥワイト・D・アイゼンハワー

VC-121A 48-0610 "Columbine II" Colnel William G. "Bill" Draper

1954年9月10日〜
VC-121E 53-7885 "Columbine III"

1960年12月1日〜
1254th Air Transport Wing

1961年1月20日〜
ジョン・F・ケネディ

VC-118A 53-3240 Colnel James B. Swindall

1961年7月〜
Andrews AFB

1962年10月10日〜
VC-137C 62-6000

1963年11月22日〜
リンドン・B・ジョンソン

1965〜
Colnel James U. Cross

?〜
Colnel Paul L. Thornhill

1966年1月8日〜
89th Airlift Wing

1969年1月20日〜
リチャード・M・ニクソン

Colnel Ralph Albertazzi

1972年8月9日〜
VC-137C 72-7000

1974年8月9日〜
ジェラルド・R・フォード

Colnel Lester C. McClelland

1977年1月20日〜
ジェームズ・E・カーター

1977年9月30日〜
89th Military Airlift Group

1980年12月15日〜
89th Military Airlift Wing

1981年1月20日〜
ロナルド・W・レーガン

Colnel Robert E. Ruddick

1989年1月20日〜
ジョージ・H・W・ブッシュ

1990年8月23日〜
VC-25A 82-8000

Colnel Robert C. "Danny" Barr

1991年7月12日〜
89th Airlift Wing

1993年1月20日〜
ウィリアム・J・クリントン

1997年1月20日〜
Colnel Mark Donnelly

2001年1月20日〜
ジョージ・W・ブッシュ

2001年6月26日〜
Colnel Mark Tillman


尚、海兵隊による要人ヘリ移送任務は1958年当初より現在に至るまで、HMX-1(司令部はVirginia州 MCAF Quantico)が担当している。
HMX-1は他に、海兵隊で使用するヘリ及びその装備の評価試験も行う。
現在HMX-1は要人輸送のVH-3DとVH-60Nの他、CH-46EとCH-53Eも所有している。

また、1958年〜1976年の間、陸軍も海兵隊と並行してヘリによるホワイトハウス要人移送を担当していたが、これはUS Army Executive Flight Detachment(司令部はVirginia州 Davison US Army Air Field)による。

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6.大統領のお通りだ

それは2002年4月30日のこと。
ジョージ・W・ブッシュ大統領はカリフォルニア州のサンノゼを訪問していた。
私は勿論エアフォースワンを見にすっ飛んでいく、などということはせず、平日なので(珍しく)真面目に仕事をしていた。

昼前に取引先に行く用事があったので上司(日本人)の車でサンタクララ市へ。「今日はあちらこちらに警官が多いですね〜」「ブッシュがサンノゼに来てるからね」「折角だからウチの会社にも立ち寄らないんですかね?」「でもオヤジみたいに吐かれるのがオチでしょう」などとアホな会話がツライ異国での業務に疲れた頭を和ませる(どこがじゃ....)
仕事を終え、もう一人の同僚も加わり、昼になったのでその辺でメシでも食おう、ということになった。これが不幸(?)の始まり。

向かったのはサンノゼの隣町でシリコンバレーのど真ん中、サンタクララ市の、Great America Parkway と Mission College Boulevard の角にある、サンドイッチ屋「Togos(トゴス)」。
相変わらず角の交差点には警官が居る。この近くをブッシュ大統領様御一行が通るのであろうか?気にせずに店に入り、サンドイッチを食べる。
食べながら店の外を見ると、Mission Collage の方は警官が道を塞いで、交通が止められているみたいだ。Great America の方は普通通り流れている。これは何を意味するのか....???
まあ、そういった出来事は無視して、仕事に戻ることにする。駐車場に行き、車に乗ろうとしたが、周りを良く見ると、駐車場から出るにはMission Collage Boulevardに出なければならず、そこは交通止めになってしまっている。Great America側にも出口があるのだが、どうもこちらも警官が立っていて駐車場からは出られないみたい。ということは「帰れない」ということ。

サンドイッチ屋に戻ってみる。外の様子を見ていると、いつもは沢山の交通のある、片側3車線のGreat Americaは交通量が極端に少なくなってきて、しばらくすると車が全く通らなくなってしまった。「ひょっとして、大統領はGreat Americaを通るのか???」
次の仕事に取りかかることが物理的に不可能となってしまった為、仕方なく(←大嘘)大統領見物へと予定を変更する。
Great America通りの歩道に移動する。ここなら、もし本当にブッシュがGreat Americaを通るのなら、沿道の一等席だ。う〜ん、カメラが無いのがツラい。

Great Americaの車道には車が全く通っていない。一方、交差するMission Collageは大渋滞している。無理も無い、もう20分以上交通止めになっているのだから。後ろの方の車は、遥か前方で何が起きているか把握出来ず、焦っていることだろう。
上空では警備と思しきヘリが何度も飛ぶ。しかし、大統領が来る気配は未だ無い。
サンノゼ空港からは旅客機が普通に離着陸しているのが判る。サンノゼ近辺を大統領が訪問する場合、エアフォースワンはサンノゼ空港ではなくモフェット基地(かつての海軍航空基地、現在はNASAとANGが使用)に着陸するから民間空港の離発着には影響無いのか。
「民間空港にエアフォースワンが降りる場合、到着前30分から他の飛行機の離着陸が一切止められる」という話をしたら、何と「それに遭遇して多大なる迷惑を蒙ったことがある」とのこと。

更に時間が経つ。Mission Collageが通行止めになってから40分は経っただろう。近くの高い建物のベランダに、見物人が出てきた。と、近くに居た警官が笛を吹き、ベランダにいる人を指指して屋内に入る様に指示した。沢山の人がビルから顔を出していると、その中にオズワルド君やゴルゴ君、ジャッカル君などが混ざっていても判らなくなるから、誰も外に出さない様にする配慮だろう。
しかし、よく見ると別のビルのベランダには私服の男が立っていて、彼は何も言われない。ということは、シークレットサービスの人間だろうか。

先ほどまで何度も飛んでいたヘリも何時の間にか飛び去り、あたりは急に静かになった。警官や見物人は沢山いるのに、車が全く走っていない為に、まるでゴーストタウンを思わせる静けさが辺りを襲う。
と、遠くからサイレンの音が聞こえる。いよいよ来たのであろうか?しかし、近づいてきたのは普通のパトカー。その後、普通のサンタクララ市のパトカー、カリフォルニアハイウェーパトロール(CHP)のパトカー、白バイ、覆面パトカーが何度となく往復する。いよいよ最後の大詰めの点検なのだろう。
パトカーの往復は10分位続いただろうか。やがて沢山走っていたパトカーはどこかへ消えてしまい、再びGreat Americaに静けさが訪れた。

そして、ついに、近辺が通行止めになってから1時間近後、本〜当〜に長く待たされた後、彼はやってきた。
Great America の北側より、猛スピードで走る車軍団のライトが見える。まるで護送船団の様。
白バイに先導され、濃緑色に塗られたバンが3台程、目の前を猛スピードで通過する。3台ともそっくりの塗装で、いずれの車のドアにもニュース番組で見慣れたプレジデンシャルシール(大統領の紋章)と思しきものが描かれてた。窓はスモークが張られて中は見えない。
そして、その後を更にパトカーと白バイが通過する。

余りにも長い待ち時間の後の、余りにもあっけない通過。
「ひょっとして今のがそう?」「ブッシュはどれに乗っていたんだ?」「あれ、黒塗りのリムジンじゃあ無くてバンなんだ?」「3台共そっくり同じバンだったけど、ということは2台は影武者?」と疑問は付きない。

あっという間に交通止めが解除され、駐車場は出口へ急ぐ車で賑わう。
1時間に及ぶ通行止めですっかり渋滞してしまったMission Collageの対向車線を横目に車を走らせていると、地元ラジオ局の生放送が耳に入る。
「ブッシュは今、モフェット飛行場に到着した様です。」
これは早い。目の前を通過してから5分しか経っていないのに、もうすぐ飛行機に乗り込むのか。これも事前に周到な警備点検をしていた賜物(たまもの)か。
しかし、世界一の権力者、世界一多忙な者への特権を与える為に1時間も待たされた人は、果たして文句を言わないのだろうか?大統領の警備がこれほど厳重で、通行の優先度が高く、事前準備が徹底しているものとは思わなかった。恐らく今回のサンノゼ訪問にはエアフォースワンの運航費だけでなく、本当に膨大な警備費用がかかるのだろう。
これが日本だったら....単に習慣や価値観、治安の差ではない。昔の大名行列ならいざしらず、これだけの費用や犠牲を国民が喜んで負担するような人徳の総理が現在の日本にいる、とは到底思えない。

そんな事を考えていると次の仕事場に近づいてきた。大統領見物というオマケ付きの、長〜い昼休みは終わった。ラジオでは「ブッシュは手を振っています。今まさにエアフォースワンに乗り込もうとしています。」と生中継をしている。
私は「まだ乗ってないんだからエアフォースワンじゃあ無いよな」というツッコミを入れたくなるのをグッと押さえていた。


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7.政府専用機に乗るには....

日本の政府専用機が導入され始めた頃、私のような凡人が乗れる可能性は、というのを話していて、
・総理大臣になる、官僚になる→絶対ヤダ(というか無理)
・皇族と結婚する→死んでも無理
・新聞記者になる→ストロボ撮影の勉強してないから無理(そういう問題じゃ無いか)
・自衛隊に入ってクルーになる→その話をしていた時点で入隊出来る年齢オーバーだったから無理
・会社で左遷され政情不安定な国に転勤になりクーデタが発生、政府専用機が迎えにくる→これが一番現実的
などと冗談で言っていたのですが、その後97年に(当時は政情、景気共に安定していた)米国に転勤。
2001年9月11日に同時多発テロ事件が発生し、何とその時は政府専用機が待機していたとの事。
「こ、これは...乗れる!?」 .....結局乗れませんでした。(アメリカに居る日本人全員を退避させるには一体何往復かかることやら....)

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8.誰かこいつを止めろ....!

本サイトはアメリカ合衆国の航空ショーとか、アメリカ合衆国大統領専用機といった内容を扱っているので誤解されるかもしれないが、私はアメリカ合衆国は嫌いである。
住めば住むほど、アメリカ合衆国の政治・政策に疑問を持ち、文化の浅さが目に付く。特に同時多発テロ以降、本当に身勝手な悪い国だ、という印象が強くなった。
私の目に映るアメリカ合衆国は、
・基本的に侵略国家。その歴史はインディアンの土地に入り込み略奪をすることに始まる。
・自分の価値観が絶対だと確信し、他の価値観を受け入れない。
・多くが不当な労働条件で働かされる不法移民の問題に目をつぶる。現代の奴隷制度と何ら変わらない。
・何故現在アメリカがテロに狙われるのか考えようとしない。
・テロ撲滅と称し、同時多発テロ犠牲者を上回る被害者をアフガニスタンで出しても気にしない
・他国上空を偵察機(当然領空侵犯)や偵察衛星で覗き見
・他国が核を持つことを過度に嫌がる割に自分は持ち放題
・スキー客の乗ったゴンドラのケーブルを飛行機で切断したり、学生の乗った漁船を潜水艦で沈めたり、装甲車で民間人をひき殺す事は平和維持の為には必要な犠牲と本気で思っている(知り合いのアメリカ人は潜水艦艦長は運が悪くて気の毒だと言っていた....)
・イスラムに厳しく、イスラエルに甘い矛盾した政策
・地球環境に無関心、ガソリンや化学薬品を湯水の様に使う割には「鯨を食うな」と自分の好みを押し付ける。
・自由の国と言いながら自国に批判的なことが言いにくい環境を作っている
・グローバルスタンダードとか偉そうに言いながらポンド・インチ・華氏を使い続ける(チトみみっちくなってきた....)
・自由の国と言いながら個人で花火で遊べない、自由の国と言いながら酒が飲める所が限られてる(何か個人的な....)
・身勝手・自己中心を個人主義と勘違いしている
でもって、大統領の話。
アメリカの大統領は戦争が好きである。多くの大統領が軍隊に居たことがある(ここ50年で軍暦の無いのはクリントン大統領だけ)ということもあるのだろうが、しかし多くの一般的なアメリカ人が過去の戦争に肯定的な意見を持っている事を考えると、大統領の戦争好きは国民の戦争好きをそのまま反映している。さすがは選挙で選ばれた国の代表である(←って、この前の選挙は大荒れだったが)。
特に現大統領、ジョージWブッシュの態度は「ちょっとひどすぎないか?」という感じがする。
情けなく、かつ危険なのは、現在の日本の首相がアメリカ大統領の尻を追いかけるように行動している事。独立国のプライドもへったくれも無い。
「テロリスト側に付くか、米国側に付くか」というブッシュ大統領の演説は無茶苦茶だが、「それでは」とホイホイ海自の船を出すのもどうかしている。何故「日本はアメリカにもテロリストにも関係ありません」ときっぱり言わないのか。大体、折角船を出して給油しても、米国のニュースで目だって取り上げられる事も無く、殆どのアメリカ人は日本の「軍事的貢献」に付いては何も知らない(これ本当)。まさに税金の無駄遣い。自衛隊を派遣してもアメリカ人へのアピールは無いが、反対にイスラム圏の人々からは反感を買う。元来日本とイスラム圏とでは国際的な対立が無く、ニュートラルな関係だったのに、わざわざ税金を使って敵を増やすようなものだ。
アメリカと距離を置く国家指導者が日本に欲しい。
日米安保条約も一方的にアメリカの世界戦略の為に使われている。このようなものはすぐに破棄、は無理としても、徐々に解消していくべきものだ。
自衛隊の装備は旧ソ連あたりから買おう。高い米国製(さらにそれを数倍高くするライセンス生産)は要らない。日本が米国製以外の兵器の購入に意欲を示せばあらゆる国が売り込みに来る。日本の航空ショーも販売促進のためミグやスホーイ、ユーロファイターにラファールが来日・乱舞しとても華やかになる。
あるいは日本製の兵器を海外に輸出することにより値段を下げる。メイドインジャパンのブランドは不滅。既に中近東やアフリカのゲリラの間では日本製のトラックやオフロード4駆がステータスシンボル、オマケに兵器が付いてもいいじゃないか。どうせ彼らはどこからか手に入れる。
更には極端な話、沖縄県を独立国にすればいい。(国名は琉球国か?)独立国家になれば駐屯する米軍を追い出す事も出来る。憲法9条は改正せざるを得ないだろう。自衛の為に軍隊を持つことを明記する。非核3原則は維持し、しかも厳守する(厳守させる)。
とにかく日本は軍事的に独立して米国との距離を少し広げる事、身勝手な世界戦略には手を貸さない事だ。
(2003年1月24日記)

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9.主な参考資料と関連リンク
出版物

Planes of the President (2000年刊行 Bill Holder著 Schiffer Publishing)
大統領専用機、サポート機、マリンワンのヘリなどを年代順、機体毎に解説している本。

Air Force One (2002年刊行 Robert F. Dorr著 Motor Books)
エアフォースワンに関しまとまった本では最新のもの。VC-25Aの運航、歴代専用機の歴史など。写真多数。同時多発テロに関しても触れられている。
 
アメリカ大統領歴代41人の素顔 (2000年刊行 宇佐美滋著 三笠書房)
歴史書のような堅苦しさが無く、大統領にまつわる様々なエピソードを紹介して気楽に読める本。

航空ファン誌1998年3月号(文林堂)
大統領の飛行機による移動の歴史と機材の解説と、VC-25A・VH-3D/VH-60Nの解説。航空ファン誌らしく大変読みやすくまとまっている。

Boeing Brochure 213535.5/98
アンドリューズ空軍基地のオープンハウスで配っていたPRのパンフレット。89th AWの歴史、VC-137C,VC-25A,C-32Aの紹介。

ビデオ

Air Force One (2001年 National Geographic)
クリントン政権末期に撮影されたドキュメンタリーで、エアフォースワン運行の様子、VC-25A機内の様子が判る。歴代大統領へのインタビューも。

Air Force One The Planes and the Presidents Flight II (1991年 MPI Home video)
クリッパーに始まる大統領の飛行機による移動の歴史を、歴代大統領や大統領専用機パイロットのインタビューを交えて綴る。


インターネットサイト

(全てのリンクは新しいウィンドウで開きます)

トップページ
へのリンク

大統領専用機/副大統領専用機に関する情報のあるページへのリンク
(サイト末端のページへのリンクが多いので将来移動・抹消が考えられます。こちらでも逐次チェックしますが繋がらない場合はトップページから探す等お願いします)

言語
Boeing社

VC-25Aエアフォースワンの解説
現在のエアフォースワンVC-25A型 テールナンバー28000, 29000についての解説、仕様、写真など。英文。

C-32Aの解説
現在エアフォースツー、政府要人輸送機として使われる、B757-200の軍用版C-32Aの解説、仕様、写真など。

VC-137の解説
旧エアフォースワン・ツーのメーカーの公式ページ

アメリカ空軍

VC-25Aに関する紹介
旧エアフォースワンに関しても簡単に触れている。

C-32Aに関する紹介
VC-137 26000 が退役する事に関するニュース

アメリカ空軍アンドリューズ空軍基地にある、エアフォースワン、ツーを運航する89th Airlift Wingのホームページ

Navy Historical Center

マリンワンを運行する部隊HMX-1の装備と歴史(PDF形式)

US Navy Office of Information VH-3Dに関する公式の解説
Lockheed Martin 次世代マリンワン、US101の公式サイト
Maxwell Air Force Base VC-135 , C-20 ,VC-25A に関する解説
アメリカ科学者連盟 Special Air Mission 全般に関する解説
VC-137Cに関するデータ
C-32Aに関するデータ
VC-25Aに関するデータ

要人輸送に使う機体の座席配置表(PDF形式)
これは面白い!C-32AやC-9、C-20、VC-137 27000の座席配置など。
残念ながらVC-137 26000やVC-25 28000は掲載されてない。
プリントアウトして、6ページ目の座席番号1に自分の名前を書きたくなるのは私だけか?(そこは大統領の席)

Global Security FASと内容が重複している。
現エアフォースワンのVC-25A、旧エアフォースワンのVC-137、要人輸送機のC-20/C-37系C-32AC-9要人輸送任務SAM全般の解説、運用する89th AW の各部隊PPO99th AS1st AS1st HSの解説、
海兵隊のマリンワンとして使われるVH-3D及びVH-60Nの解説、運用部隊HMX-1の解説など。
キャンプデービッド

大統領搭乗機の歴史のページ
C-87(爆撃機B-24の輸送型)から現代のVC-25Aまでの詳しい歴史解説と写真。

presidentialtoys キャンプデービッドのホームページのミラーサイトで内容は基本的に同じ。リムジンの写真などもある。
Newhouse News Service 大統領専用機に関する歴史と解説
CNN 最大手ニュースメディア、CNNによるエアフォースワンVC-25Aの機体、運用、サポートの解説
How Stuff Works 色々なメカや科学を判り易く解説するサイト。エアフォースワンVC-25Aに関し詳しく解説されている。機内配置図もあるが当然推定・想像によるもので、明らかに座席の数が少なすぎるし、会議室も大きすぎる感じがする。
Rotorhead 海兵隊の運用するマリンワンに関する解説と写真
The Southwest Virginia Scanner Club とっても「ラジオライフ」なクラブの会報で、エアフォースワンはじめ89th Airlift Wing 所属機のレジと解説がある。
レーガン元大統領図書館

旧エアフォースワン VC-137 27000 の展示予定
26000の後任エアフォースワンとしてレーガン大統領などが使っていたVC-137 27000をレーガン図書館が引き取り展示する予定。
ちなみにアメリカ大統領は引退すると図書館を建てることになっている。

アメリカ空軍博物館

大領搭乗機を集めたハンガーの展示機の解説
VC-54からVC-137までの固定翼機、小型機、ヘリなど。
ただし博物館の展示は保護の為通路と座席の間がアクリル板で仕切られてしまい、まともに撮影出来る状態ではない。

Pima航空宇宙博物館 デビスモンサン空軍基地に隣接する航空博物館で展示している、ケネディ大統領の専用機VC-118A要人輸送機VC-140BアーミーワンのVH-34Cの説明。他にVC-137Bも展示しているのだが何故かこれの説明ページが無い。
Museum of Flight (ボーイング航空博物館) アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソン大統領が搭乗したVC-137 58-6970を展示してある。
Robert J. Ribando My White House Days - A View from the Bottom (and a history of Presidential flight)
1960年代後半に89th AWで働いていた元隊員による体験談と大統領専用機の解説。かなり読み応えがある。
ホワイトハウスの公式ページ

現在の副大統領搭乗機(エアフォースツー C-32A)機内の写真
たった一枚だがこの様なものが公開されているのは珍しい。ソファー横のスイッチは何だろう?

英国放送BBC

エアフォースワン VC-25A 機内の大統領専用室に座るクリントン大統領の写真がある。

Keyのミリタリーなページ 現在のエアフォースワンVC-25Aに関する仕様・解説が日本語で読める。
Yamasans Laboratory 1993年にクリントン大統領が来日した時の、横田基地でのVC-25Aの写真
Look out 横田基地で撮影したC-32Aの写真
スポッターズ的ひこうき写真館 クリントン来日時のVC-25Aの写真
tannyの束の間の休日 エアフォースワンVC-25A来日時の写真(ランプショット)
全力投球の英語学習 VC-137エアフォースワン引退に関する記述とリンク
The Red Tail Club VC-137 27000 来日時の写真
New Orlenaes International Airport C-32A と VC-25Aの写真
Ulster Aviation Society イギリスにて撮影されたエアフォースワン及びサポート機
エアフォースワンの着陸時の無線交信の録音
Geoff Sobering's homepage ワシントン州にあるボーイングの航空博物館にある、
エアフォースワンとして使われたVC-137Bの機内・外の写真。
Kaz SHIMADA's soaring and aerospace homepage ワシントン州にあるボーイングの航空博物館にある、
エアフォースワンとして使われたVC-137Bの機内・外の写真。
船と飛行機みてある記 来日したエアフォースワンVC-25Aを羽田空港で撮影した画像を公開
N.hirai's homepage 「飛行機大図鑑」の中にある大統領専用機VC-25A、C-32A,VC-137の写真
ワシントン州にあるボーイングの航空博物館にある、エアフォースワンとして使われたVC-137Bの機内・外の写真。
Canopy

VC-25Aエアフォースワン来日時の写真
他では見られない夜景が美しい。

追跡・在日米軍 情報公開を目的に代議士が運営するサイトにて、横田基地に待機するVC-25Aの様子を紹介。
SAKUMA氏のホームページ 関西国際空港におけるエアフォースツーVC-137の写真
airliners.net 旅客機を中心に、世界中の飛行機写真家の作品を募集し、データベース化して掲載している。
膨大な量を誇り民間旅客機であれば国籍新旧問わず大抵のものは見つかるが、クエリーで検索すると大統領専用機、その他VIP輸送機も相当な写真が見つかる。
海外で撮影された日本国政府専用機とか、現役時代のColumbineVの写真も見られる。インターネットの本領発揮、といった所。
Sony pictures entertainamet

「エアフォースワン」の実機解説と機内の様子の記述
(主演、監督、プロダクションデザイナーが映画製作に際し実機見学を許された。ただし撮影不可)。

National Geographics

米国で放映されたエアフォースワンのドキュメンタリー番組の紹介
VC-25Aに関する解説もある。


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