1.エアフォースワンの呼称について
エアフォースワン、エアフォースツー、マリンワン、SAMといった米国要人輸送時のコールサインの使い分け
2.大統領専用機関連年表
第二次世界大戦時から現在まで、歴史と供に歩んだ大統領専用機たち
3.歴代大統領専用機と主要要人輸送機解説
VC-25A、VC-137といった超有名機はもちろん、日の目を見なかった大統領専用機、地味なサポート機も
4.主要要人輸送機性能要目比較
航空機の性能の進歩と値段の高騰が一目で判る、歴代大統領専用機と大統領搭乗ヘリの比較。
5.大統領専用機運用組織
エアフォースワン、マリンワンを飛ばしているのは誰だ?
6.大統領のお通りだ(オマケです。大統領専用機に関係ありません)
現代の大名行列、ブッシュ大統領が目の前を通り過ぎていく。
7.政府専用機に乗るには....(オマケです。大統領専用機に関係ありません)
って、別に乗りたくはないんですけど。
8.誰かこいつを止めろ....(オマケです。大統領専用機に関係ありません)
自己チューな国民の、自己チューな国民による、自己チューな国民の為の政治
9.主な参考資料と関連リンク
大統領専用機に関する日本一のリンク(を目指す)
大統領の家族 |
Executive One Foxtrot |
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副大統領の家族 |
Executive Two Foxtrot |
出来事 |
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フランクリン・D・ルーズベルト |
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海軍がRD-2 Bu.9347を大統領が搭乗出来る様に配備した。(〜1939年まで) |
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C-87A 41-24159 "Guess Where II"を配備 |
C-87A 41-24159 |
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ヤルタ会談(〜2月11日) |
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ルーズベルト大統領死去、 |
ハリー・S.・トルーマン |
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ドュワイト・D・アイゼンハワー第34代大統領に就任 |
ドゥワイト・D・アイゼンハワー |
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ジョン・F・ケネディ第35代大統領に就任 |
ジョン・F・ケネディ |
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ケネディ大統領暗殺 |
リンドン・B・ジョンソン |
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リチャード・M・ニクソン |
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ニクソン大統領辞任 |
ジェラルド・R・フォード |
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ジェームズ・E・カーター |
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ロナルド・W・レーガン |
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イランの米大使館人質解放 |
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ジョージ・H・W・ブッシュ |
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ブッシュ大統領来日(〜10日)天皇陛下、宮沢総理他と会談。 |
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ウィリアム・J・クリントン |
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ジョージ・W・ブッシュ |
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同時多発テロ発生 |
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コンソリデーテッド C-87A 41-24159 "Guess Where U" B-24爆撃機の輸送型C-87Aが1943年に初の大統領専用機に充てられたが、結局1度も大統領は搭乗しないまま(ただし大統領夫人は搭乗した)、1945年に退役し、直後スクラップにされてしまった。 名前の末尾にUが付くが、関連するGuess Whereという機体が無い事から、名前は"Guess where to?" (何処へ行くか当ててみな)に引っ掛けていると思われる。 |
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ダグラス VC-54C 42-107451 "Sacred Cow" DC-4旅客機の軍用版、C-54スカイマスターの要人輸送型で、大統領が初めて実際に搭乗した大統領専用機。 "Sacred Cow"(批判を許さない、神聖なもの)の名前は公式なものではないが、厳重な警備の様子から関係者がこう呼んでいる内に定着した。 脚の不自由なルーズベルト大統領の為、車椅子のまま乗降出来るエレベーターが備えられている。 ルーズベルト大統領は1度だけ、ヤルタ会談出席の際に使用したが、帰国直後に病死してしまい、後任のトルーマン大統領が引き継いで使用した。 退役後スミソニアンが引き取ったがオハイオ州のデイトン近郊、ライトパターソン空軍基地内にあるアメリカ空軍博物館(以降空軍博物館と略)に移管されてルーズベルト使用時の状態に復元され、機内が(透明アクリル板越しに)見学出来る。 |
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車椅子を使用していた大統領の為にエレベーターが付けられた。 |
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ダグラス VC-118 46-0505 "Independence" 前回、Sacred Cowという皮肉を込めた名前が大統領専用機に定着してしまったのに懲りた陸軍航空隊は、今度は最初から"Independence"という愛国心丸出しの公式の愛称を付けた。 これはトルーマン大統領の出身地がミズーリー州インディペンデンスで、また、機体の空軍納入日が7月4日独立記念日"Independence Day"であることに由来する。 鷲をモチーフにした、歴代大統領専用機のなかでも最も派手(悪趣味、とも言う)な塗装が施されていた。くちばしと眼の色は当初黄色で、後に白くなったようだ。 この塗装は本来アメリカン航空用にデザインしたものだが結局採用されなかった(ただし同航空のマークには現在も鷲が使われているのはご存知の通り)。 機体はDC-6の軍用版C-118リフトマスターの要人輸送仕様。 現在は空軍博物館に展示されていて、アクリル板越しに機内が見られる。 |
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ロッキード VC-121A 48-610 (48-0610) "Columbine U" L749コンステレーションの軍用型、C-121Aコンステレーションの要人輸送型。 1953年にアイゼンハワーが大統領に就任と同時に大統領専用機となった機体。 それまでの専用機が、最初から大統領専用機としてメーカーから納入されたのとは異なり、本機は大統領就任前からSAMに就いていた。 アイゼンハワーはトルーマンの使っていたC-118A "Independence" を専用機に使う事を拒否し、大統領に就任する際C-121Aを指定、内装と装備を変更して大統領専用機とした。 アイクがC-121系を指定した理由は、NATO軍総司令官だったころに乗っていたC-121A 48-614 "Columbine"が気に入っていた為で、その時のパイロットを大統領専用機のパイロットに指定もした。 48-614 Columbine と48-610 Columbine U は同ロット生産の同型で、無塗装・地味な外観もそっくり。ただしColumbine Uは大統領専用機として内装、通信装備など様々なアップグレードが施された。 本機はテールナンバー8610なので、エアフォース8610として飛行していたがイースタン航空8610との混同事件が発生し、後に「エアフォースワン」のコールサインが使用されることになった。 導入翌年の1954年には後継のColumbine Vが導入され、48-0610はバックアップ機となり、その後1968年に退役しデビスモンサン空軍基地に保存、最後はパーツ取りで終わる所だったが、機体の重要性を認められ1990年には民間の手で飛行可能状態に復元され、現在はニューメキシコ州のサンタフェ空港に置かれている。 尚、Columbine(コランバイン)は和名を「おだまき」と言い、コロラド州花である。これはアイゼンハワー大統領夫人がコロラド州出身であることに由来する。 最近では飛行機や花の名前よりも、1999年4月に死者13名という米国史上最悪の学校での銃乱射事件が起きた、コロラド州リトルトンのコロンバイン高校として悪名高い。 ちなみに初代Columbine, 48-0614の方はアイゼンハワー司令官専用機の任を解かれた後、ベルリン空輸に使われ、現在はアリゾナ州のPima航空宇宙博物館に展示されている。 また、このロットのコンステレーション(48-0608〜0617)の多くがVIP任務に就いたが、現存しているのは: 48-608:飛行可能(民間レジN608AS) 48-609:MATS Connieとして飛行可能(民間レジN494TW)→詳しくはこちら 48-610:Columbine Uで飛行可能(民間レジN9463) 48-612:ヨーロッパで飛行可能(米国民間レジはN749NL) 48-613:マッカーサー将軍の専用機"Bataan"で現在はアリゾナ州グランドキャニオン近くのプレーンズオブフェーム博物館に展示 48-614:初代ColumbineでPima航空宇宙博物館に展示 と、驚くべき生存率である。レシプロ4発機は飛行維持に大変な費用がかかると思うが、是非この美しい機体を末永く飛ばして欲しい。 |
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大統領専用機Columbine II 48-610 と同じロットの機体で、外観・塗装等はそっくり。 Pima航空宇宙博物館に展示されている。 |
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ロッキード VC-121E 53-7885 "Columbine V" アイゼンハワー政権時代の1954年に、Columbine Uの後継として導入された機体。E型はこれ一機のみ。VC-121Aと比べると胴体延長、角型窓付きキャビン、エンジンの高出力化、通信装置の向上などが相違点。 アイゼンハワー退任後も要人輸送に使われ、1966年に退役した。現在は空軍博物館に展示され、透明アクリル板越しに機内が見学出来る。 |
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一番奥の機体がアイゼンハワー大統領の専用機 VC-121E "Columbine III" 53-7885。 |
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ダグラス VC-118A 53-3240 ケネディが大統領に就任したと同時に大統領専用機に指定された機体。 Colombine U同様、最初から大統領専用機として納入されたものではなく、1958年12月からSAMに使われていたもの。 機種はDC-6Bの軍用型で、トルーマンの専用機Independenceと同系だが塗装が違うと印象もかなり異なる。 キャビン内を改造し執務室を設けた。ケネディとジョンソン大統領が使用し、特にVC-137が離着陸出来ない空港に行くのに使われた。 1967年8月には89th AWを離れ、1975年6月に退役。 現在はアリゾナ州のPima航空宇宙博物館に展示されており機内も公開されている。機内見学は知識の豊富な退役軍人のボランティアガイドが付き面白い話が聞けるし、空軍博物館と違い目障りなアクリル板が無い(通路と椅子を隔てる手すりはある)など好感が持てる。 |
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ボーイング VC-137C 62-6000 ケネディ政権の1962年に配備されたテールナンバー26000で、大統領専用機として製造されたはじめてのジェット機。 現在のVC-25Aにも施されている白・青・薄青・金線を配した機体塗装が採用されたのも本機からで、このデザインはフランス生まれの高名な工業デザイナー、レイモンド・ロウリーによるもの。 エアフォースワンとして歴史的に大変有名な機体で、ケネディ大統領がダラスで暗殺された後、ジョンソン副大統領が大統領就任の宣誓をダラス空港に駐機する本機内で行ったのは特に有名。 就航当時、大統領の部屋はそれまでの大統領専用機同様、機体後方寄りにあった。 1963年11月22日 ケネディ暗殺後、亡くなった大統領の遺体を貨物室でアンドリューズまで運ぶのは忍びないと感じたクルーは、機体後部の仕切りと椅子4席を取り外してキャビン内に棺が積めるようにした。 ダラスを飛び立つ前、ジョンソン大統領が機上で大統領就任の宣誓をした。 ジョンソン大統領は同乗者が見える様、コンパートメントの仕切りを透明アクリルに変え(プライバシーが必要な時はカーテンをひく)、また同乗者の座席を後ろ向き(大統領の部屋に向けて)に変更した。 ニクソン大統領の時代にオーバーホールと内装変更が行われ、大統領の部屋が前方に移された。また、この時、大統領の命令により、機内の電話を録音する装置を全部外したが、後に盗聴事件と録音テープが原因で辞任に追い込まれるニクソンには皮肉なエピソードである。 26000に愛称は付けられず、メディアは単に「エアフォースワン」と呼んでおり、この呼称が広く一般に認知されるようになった。 建国200周年を5年後に控えた1971年にはニクソン大統領が公式の名前Spirit of 76を付け、機首にも文字が入った(ただしこの名前は一般に広く認知されなかった)。 もう一機のVC-137C 72-7000(テールナンバー 27000 )導入に伴い26000は大統領専用機のバックアップとなったが、ニクソン大統領は機内レイアウトの好みもあり26000の方にもよく搭乗した。 後にVC-25A 導入により、26000 は副大統領搭乗機エアフォースツー、その他要人輸送として使用されるようになる。 C-32A導入に伴い1998年4月に空軍より除籍。 除籍直後の5月のメリーランド州アンドリューズ空軍基地オープンハウスでは機内を一般公開した。この時は歴史的機体の機内初公開ということでスゴイ人気、しかも機内が暑くならない様一度に入れる人数を制限していることもあり、機内に入るまでの行列待ちは2時間以上。私の前に並んでいる親子が"Disneyland!"と言っていたが、東京を含めどこのディズニーランドでもこれほど待ったことは無い。 現在は空軍博物館に展示されているが、保護の為通路と各部屋、座席との間が透明アクリル板で仕切られてしまい、まともに機内撮影出来るような状態では無くなってしまった。 ちなみに26000の機番が、アドルフ・ヒトラー総統の専用機Ju-52/3m D-2600 と似ている、と思うのは私だけだろうか。 |
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*1この写真の左に見える壁で仕切られた区画が通信室だがアンドリューズ空軍基地オープンハウスでは公開されなかった(空軍博物館の展示では見られる)。 *2(パネルの説明):この大統領部屋は、ケネディ以降全ての大統領に使用された。 *3(パネルの説明):この座席は、ニクソン、フォード、カーター各前大統領が揃ってエジプト大統領Anwar Sadatの葬儀に列席する時に使用した。 *4(パネルの説明):1963年11月22日、ワシントンDCに飛び立つ前に、ジョンソン副大統領が大統領就任宣誓をここで行った。 VC-137C 62-6000 の歴史(展示機横にあった説明板を邦訳したもの) C-137C テールナンバー26000は35年以上に渡りアメリカの指導者に仕えた。 本機が乗せた乗客は、J.F.ケネディーからクリントンまでの全ての大統領、20世紀の、最後の1/3の殆どの政府役員、世界各国の国王・女王・首脳を含む。 本機はアメリカの偉大なる勝利も、悲劇をも目撃してきた。 ・1962年10月10日 26000がアンドリューズ空軍基地に到着。本機は大統領専用機として製造された最初のジェット機。空軍の持つ要人輸送機の中では、最も早く、遠くまで飛べた。 ・1962年10月12日 最初の任務として、国賓の王子を迎えにリビアのWheelus空軍基地に赴く。 ・1962年11月10日 エレノア・ルーズベルトの葬儀の為、ケネディー大統領が初めて搭乗。 ・1963年5月18日 米国の使節がモスクワに行く際、本機はそれまでの速度記録30種類を塗り替えた。これには米国〜ソ連間の無給油速度記録も含まれる。 ・1963年6月 ケネディがアイルランドとドイツに飛び、有名なIch Bin Ein Berlinerの演説を行う。 ・1963年11月22日 ケネディ暗殺後、乗客が亡くなった大統領の遺体を貨物室でアンドリューズまで運ぶのは忍びないと感じ、機体後部の仕切りと椅子4席を取り外して棺が積めるようにした。 ダラスを飛び立つ前、ジョンソン大統領が機上で大統領就任の宣誓をした。 ・1969年7月 ニクソン大統領が本機で6ヶ国13日訪問、途中アポロ11号のクルーに合いに立ち寄る。 ・1970年 ヘンリーキッシンジャーが北ベトナムの官僚と隠密に計13回会う時の最初に本機を使用。これらの任務は国防省、中央情報局長官にも内密であった。 ・1971年 ニクソン大統領が、きたる建国200年に備え、26000に公式の名前 Spirit of 76 を与える。 ・1972年2月 ニクソン大統領が歴史的な中国へのJourney for peaceへ行く ・1973年1月24日 国葬を終えたジョンソン元大統領の遺体がテキサスに運ばれる。 ・1981年10月 ニクソン、フォード、カーター各元大統領がエジプト大統領アンワーサダトの葬儀に参列 ・1983年3月 エリザベス女王U世が米国西海岸を訪問 ・1997年6月28日 アルブライト国務長官が香港中国返還セレモニーに招かれる ・1997年9月 大統領夫人ヒラリークリントンがマザーテレサの葬儀の為インドのカルカッタを訪問 ・1998年3月24日 エアフォース2最後のミッションでゴア副大統領が搭乗 ・1998年4月1日 26000が空軍より除籍 |
アクリルのパネルが恨めしい。 通信オペレーターは2名。VC-25Aでは3名が操作するようだ。 |
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1960〜70年代に撮影された写真では見当たらず、後になって追加した様だ。 |
ボーイング VC-137C 72-7000 62-6000の後継機で1972年に導入。 62-6000同様、建国200周年の1976年までの間はSpirit of 76の文字が機首に書かれた。 これまでの所本機が大統領専用機として使われた期間が一番長く、仕えた大統領の数も一番多い。 ただし、この間、2期勤め上げたのはレーガンだけである。 本機は退役後、カリフォルニア州にあるレーガン記念図書館に引き取られ、現在展示に向け準備中である。 基本的に62-6000と同一仕様で外観上はテールナンバー以外同じ。内部配置などは若干異なる。 |
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ボーイング VC-25A 82-8000, 92-9000 現在大統領専用機に指定されているのがVC-25Aで、ニュースや映画で、また最近は「テロの標的の一つだった」と一時期伝えられすっかり有名になった。 プライマリー(エアフォースワンとして優先的に使われる)の82-8000 (テールナンバーは28000)と、予備機である92-9000 (テールナンバーは29000)の2機があり同一仕様・同一装備。 シリアルナンバーは、発注当初は調達年度末尾2桁-4桁数字による標準的な空軍のもの、すなわち86-8800、86-8900のシリアルナンバーであった。 後に各々82-8000,92-9000に変わったが、これはVC-137Cからテールナンバーが26000, 27000, 28000, 29000 と続く様に後から変えた為。 予定ではレーガン政権中に導入されるはずであったが、大幅な納期遅れと予算オーバー(こういうのは私の仕事でも日常茶飯事....)によりレーガンは結局搭乗出来ず、費用オーバー分の多くはボーイング社が負担したものの、ブッシュも他の予算を調整しなければならなかった。 ベースとなった、民間旅客型であるB747-200系とは、以下が異なる: ・内装 大統領の寝室、執務/食事の部屋、家族の部屋、随行要員の部屋、緊急医務室に変えられるオフィス、会議室、シークレットサービス席、随行メディアの席等 ・空中給油可能 機首に空中給油口を増設した為の膨らみがある。空中給油は航続距離を伸ばすというよりは、むしろ空中待機した方が安全と判断された場合用。 これにより、公式発表データでは72時間連続飛行が可能。実際には更に長く飛べるとも言われる。燃料は給油出来てもオイルは補充出来ないので潤滑に特別な工夫がされていると言われる。 ただし今までの所、大統領が搭乗中に空中給油が行われた事は無いと言われる。 ・電装は、核爆発によるEMPから守るシールド付。機内総配線長は旅客型の2倍の、380km。 この辺が、大幅な納期遅れを起こした理由とも言われる。 ・2箇所にあるギャレーは合計で一度に100人分の食事を用意可能。 食材は隊員が地元のスーパーに買出しに行く。この時は私服で民間人のフリをして行動し、同じ店でたて続けに買出しはしない。 ナショナルジオグラフィックのビデオで、エアフォースワン機上で出される食事やが映ってたが、典型的なアメリカの食事でスゴくマズそう。ケーキなんて毒々しい色のデコレーション入ってるし。最近ではホワイトハウスでブッシュがプレッツェルを喉に詰まらせていたが、これも市販品でマズい。大統領になってもこんなマズい物を食べているアメリカ人って....私はこの時、大統領にならなくて良かったと本気で思った。 ・2000食の食料貯蔵が可能 ・タラップを装備 これは設備の無い飛行場でも発着出来る様配慮したもの。 通常、訪問先ではメディア映りを考え、タラップ車を横付けして、大統領は前方左の乗降口から乗降する。この時、タラップ最上段から手を振るのが恒例。 しかし地元アンドリューズなどではタラップ車を使わず、大統領はメインキャビンレベルから機内の階段を使って貨物室レベルに降り、そこから備え付けの階段で出入りする。この時の出口は胴体左側、プレジデンシャルシール(大統領の紋章)の後ろにある。胴体後部にもタラップ装備の出入口がある。 ・貨物室への荷物積み込みコンベア(バゲージローダー)を装備 ・高度な電子機器及び通信機器を搭載 通信室はアッパーレベルの、コックピットの後ろに位置する。オペレータは3名+交代要員1名の様だ。機外には増設されたアンテナが沢山見える。 詳細は公開されていないが、同時多発テロの時、エアフォースワン上で思った程の情報収集と連絡が出来なかった事から機器のアップグレードが計られている。 ・防御装置付 機密扱いで公開されていないが、各エンジンパイロン後ろと、機体最後尾のAPU排気口上に赤外線ミサイルジャマーがあるのが確認出来る。 「エアフォースワン」「ニューヨーク1997」といった映画に出てくる脱出ポッドは無いとされる。また、パラシュートも実機では搭載していないものと思われる。 |
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カーチス YC-30 カーチスYC-30コンドルは双発の複葉機。アメリカ陸軍航空隊では2機(33-320,33-321)を1933年から導入して要人輸送に使用した。大統領を乗せる用意もあったが、結局大統領が搭乗する事は無かった。 |
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エアロコマンダー U-4B L-26の軍用版で、1956年〜1960年までの間、アイゼンハワー大統領が主にホワイトハウスと、自宅療養しているゲティスバーグの間の短距離移動に使用、その後も要人移送に使われた。 現在55-4647が空軍博物館に展示されている。 |
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ベル UH-13J 空軍がヘリによる大統領移送を検討して、初めて導入したヘリコプターがベル47Jの軍用型UH-13J。 1957年3月に57-2728と57-2729の2機が納入され、ホワイトハウスの庭で何度かデモ飛行した後、57-2729の方に1957年7月13日にアイゼンハワーが搭乗し、これが現職米国大統領初のヘリ搭乗となった。 シークレットサービスが機の安全性に疑問を呈した為、結局大統領が搭乗したのはこの1回限りで、以降ヘリによる大統領移送は陸軍と海兵隊(後に海兵隊のみ)が担当する事となり、2機のUH-13Jは要人輸送に使われた後1967年に退役し、57-2729はスミソニアンに、57-2728は空軍博物館に引き取られた。 |
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ロッキード C-140B/VC-140B VC-140は民間用のロッキード1329型の軍用型で、空軍は要人輸送、一般人員輸送、飛行場設備点検の為1961年よりA,B型合わせて16機を導入。 内11機が89th AWに所属(VC-140B型:61-2488,61-2489,61-2490,61-2491,61-2492,61-2493計6機及びC-140B型62-4197,62-4198,62-4199,62-4200,62-4201計5機)。 大統領の近距離の移動や、VC-137が着陸出来ない飛行場への移動、その他政府要人の移送に使用した。 1987年には全機退役した。 |
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Pimaの機体とは塗装が異なる。 |
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コンベア VC-131H コンベア580の軍用型。双発のターボプロップ機で、89th AWは4機(54-2815,54-2816,54-2817,55-0299)を1977年まで運用、主にジョンソン大統領が搭乗した。 |
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ビーチ VC-6A 66-7943 一見何の変哲もない民間の双発小型機にしか見えないが空軍所属で、これもエアフォースワンのコールサインで飛行した。 LBJことジョンソン大統領が、テキサス州のバーグストーム空軍基地(現在のオースチン国際空港)から自分の牧場へ帰る時使った機体で、別名「レディバードスペシャル」 レディバード(てんとう虫)は大統領夫人の事。 ジョンソン一家はイニシャルをLBJに統一したことで有名で、大統領本人がLyndon Baines Johnson、婦人がLady Bird Johnson、娘は Linda Bird Johnson と Lucy Baines Johnson。で、おまけに飼い犬はLittle Beagle Johnson VC-6A型はこの一機しか導入されなかった。ジョンソン退任後は要人輸送に使われ1985年に退役。現在、機体は空軍博物館に展示されている。 |
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ボーイング VC-135B/C 空中給油タンカーKC-135系と同様、ボーイング717の軍用型。 要人輸送用として62-4125,62-4126,62-4127,62-4129,62-4130の5機が89th AWに配備されていた。1992年まで使用。 窓が全く無い機体なので、中の人はさぞかし閉所に圧迫されたのでは無いだろうか。 |
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ボーイング VC-137A/B 初のジェット要人輸送機として58-6970,58-6971,58-6972の3機が1958年に導入された。導入時はA型だったが、後にエンジン装換により全機B型仕様に改造された。 58-6970"Queenie"は執務室などの内装を持ち、VC-121よりも速度、居住性などが優れる事からアイゼンハワーが何度か使用し、大統領が初めて搭乗したジェット機となった。VC-118Aを大統領専用機としていた頃のケネディも、長距離には主に58-6970を使用した。 VC-137C 62-6000導入後は大統領専用機のバックアップ(予備機)となった。 1963年11月22日にはジョンソン副大統領が58-6970で地元テキサス州のダラスに向かい、後からVC-137C 62-6000で到着するケネディ大統領を待っていた。結局ジョンソンはその日の内に大統領となり、62-6000でワシントンに戻る事になる。 その後も通常のSAM機として長らく使用され、1993年6月14日に退役し、現在はワシントン州シアトルのボーイング社の航空博物館「ミュージアムオブフライト」に展示されており機内が見学出来る。 58-6971は通常キャビン型。1981年1月には開放されたイラン大使館事件の人質を、また1991年3月には湾岸戦争後釈放された捕虜を本国に連れて帰ったが、どちらの場合もSAMではなく、"Freedom One"という特別のコールサインで飛行した。こちらは現在アリゾナ州のPima航空宇宙博物館に展示されている。残念ながら機内は非公開。 58-6972も通常キャビン型。こちらは退役後部品取りに使われてしまった。 |
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VC-137CやVC-25A同様、本機にも各エンジンのパイロンに赤外線ジャマーが付いている。 機内が見学できないのは残念。 |
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ボーイング C-137C 85-6973と85-6974 が要人輸送用に89th AWに導入された。外観や仕様はVC-137Cと同等だが内部は通常キャビン。現在は退役している。 |
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ガルフストリーム C-20A/B ガルフストリームVの軍用型で、VC-140B型の後継として導入。大統領の比較的近距離の移動、VC-25Aでは着陸出来ない飛行場への移動、副大統領や政府高官の移動などに使われる。 |
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ガルフストリーム C-20C ガルフストリームWの軍用型。C-20Cに関しては謎の部分が多く、高度な通信システムと防御装置を備え、大統領の近距離移動時にエアフォースワンとして使われる他、非常時に大統領の代わりに成り得る人を安全に移送する役割を担っているといわれる。C-20Cは3機(85-0049,85-0050,86-0403)が 89th AW 99AS に配備されている。 |
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ガルフストリーム C-20H ガルフストリームWの軍用型で、C-20A, Bの性能向上型。 |
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ガルフストリーム C-37A ガルフストリームVの軍用型。C-20の性能向上型。 97-0400、97-0401の2機が89th AW 99AS に配備されている。 |
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マクダネルダグラス VC-9C DC-9の軍用・要人輸送型で、通常キャビンを持つ。 89th AW 99AS が運用している。航続距離不足(22名の乗客を乗せて4000Km)などから後継にはボーイング737の軍用型、C-40Bが導入される。 |
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ボーイング C-32A ボーイング757-200の軍用版で1998年より導入。シリアルナンバー98-0001,98-0002,98-0003,98-0004の4機。 757は日本では殆ど見かけないが、米国の国内線ではポピュラーな存在。 副大統領が搭乗する「エアフォースツー」、大統領夫人搭乗をはじめ、要人輸送に使われる。 民間型のままでは航続距離7200Kmと不足(前任のVC-137Cよりも短い)な為、胴体に燃料タンクを増設して9300Kmに延ばしている。乗員は16名、乗客45名。 化粧室やソファーベッドが付いた執務室を備えており、立派な要人輸送機だが型式はVC-ではなく単にC-になっている。 |
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ベル UH-1N 汎用へりのベストセラー、ヒューイは1976年から 89th AW 1st HS に配備されており、要人輸送やエアフォースワンのサポートクルー移送、その他近辺の捜索救難任務を担当。また、大統領他要人がホワイトハウスから緊急退避する場合に備えているが、実際に避難任務が発生したことはない。 |
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一般駐車場から、ハンガー前の機体を望遠レンズにて撮影。 |
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シコルスキー H-34C,VH-34D ヘリ移動の安全性がシークレットサービスにより確認され、1958年から陸軍、海兵隊双方によりアーミーワン、マリーンワンとして使用された。 最初はH-34Cを使用しており、後にVH-34Dが導入された。 |
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ベル VH-1N H-34系の後継としてVH-3と並行して陸軍、海兵隊双方が使用していた。 |
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シコルスキー VH-3A H-34系の後継として1961年に海兵隊、陸軍双方が運用した(詳しくは海兵隊ヘリの項参照) 1976年に陸軍は任を解かれた。 |
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シコルスキー H-34C,VH-34D ヘリ移動の安全性がシークレットサービスにより確認され、1958年から陸軍、海兵隊双方によりアーミーワン、マリーンワンとして使用された。 最初はH-34Cを使用しており、後にVH-34Dが導入された。VH-3の導入により徐々に要人輸送任務を外れた。 |
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ベル VH-1N H-34系の後継としてVH-3と並行して陸軍、海兵隊双方が使用していた。 |
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シコルスキー VH-3A/VH-3D H-34系の後継として1961年に導入されて以来、今日までマリンワンとして使われつづけている。 海兵隊部隊のHMX-1が運用し、主にホワイトハウス〜アンドリューズ空軍基地間、ホワイトハウス〜キャンプデービッド間の移送を行う。40年以上使われているが、VH-60D導入後の現在も、キャビンの広さなどからVH-3Dの方が国内の移動ではよく使われる。 大統領搭乗(マリンワン)専用という訳ではなく、副大統領(マリンツー)や外国の元首(ステートワン)も移送する。 機体は濃緑色で上部が白に塗られている事からVH-60共々「ホワイトトップス」と呼ばれる。 VH-3のビューローナンバーは 147141 YHSS-2からVH-3A仕様に改造 150610〜150617 当初はHSS-2Z型で、1962年にVH-3Aに呼称変更。 内、150613と150617は陸軍の塗装 内、150614はVH-3D仕様に改造 159350〜159360 VH-3D型 内、159358 はNVH-3D 仕様に改造 |
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現役の大統領搭乗機なのでロープを張っており、機内は公開していなかった。 写真をクリックすると圧縮の少ない、大きな写真が見られます。 この時、大きな写真の左下にあるのが大統領搭乗を示すプレートの拡大で、このプレートは着脱可能。 |
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シコルスキー VH-60A/VH-60N VH-3Dの後継として1988年に導入された。同じく海兵隊のHMX-1が運用。 空輸の容易さ(ローターを折りたたんでそのまま輸送機に搭載出来る)から海外・遠距離展開の際に使われる。しかし、国内の移動ではキャビンの広さなどから相変わらずVH-3Dの方が好まれて使われる。 VH-60も大統領専用という訳ではなく、副大統領や外国の元首も移送する。 型式に関しては当初VH-60Aで発注され、後にVH-60Nに呼称が変わった様だ。 合計9機が生産され、ビューローナンバーは163259〜163267。 この内、Bu.163267は1993年5月19日に整備後の試験飛行中MCASクアンティコ近郊で墜落、搭乗していた海兵隊員全員が死亡した。墜落の原因は整備ミスとされる。 |
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ロッキードマーチン US101 次世代マリンワンVXXとして、競合していたシコルスキーのVH-92を破り2005年1月28日に採用がアナウンスされた。 2009年より稼動、最終的に2014年までに23機を調達する。 VH-3, VH-60に比べキャビンスペース、ペイロード、航続距離、最高速度、生存性等が大幅に向上する。 契約メーカーがロッキードマーチンとなっているがこれはもう明らかにアメリカ納税者を騙そうとするもので、元はヨーロッパのアグスタウェストランド設計のEH-101(警視庁も採用している)。 これを書いている2005年1月末現在、アメリカのメディアではすでにアメリカの大統領が他国設計製造ヘリに乗ることの安全性(本音は屈辱性)に対する議論で一杯の様子である。 ライセンス契約により主要部品の65%は米国製となるが、重要保安部品であるミッション、駆動系やローターはイタリア及び英国製となる。US101のサイトではこの2国を「強力な米国の同盟国」(だから部品を使っても安心)と言っているが、両国共に今やイラク戦争でアメリカに協力したことを本音では猛省しているはずなので苦笑してしまう。 次のマリンワンがイタリア&イギリス機なら、次世代のエアフォースワンはやはりこれか?(広いよ〜、大統領!) |
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ダグラス RD-2 Bu.9347 1933年より、アメリカ海軍はダグラスRD-2ドルフィン(高翼・双発の水陸両用機)をルーズベルト大統領が搭乗出来る様に待機させていた。 これが最初の大統領用機であったが、結局一度も大統領移送には使用されなかった。 |
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ボーイング 314A Bu.48226/NC18605 "Dixy Clipper" 民間のパンナムが運行していた機体だが、戦時中のためクルーと機体は海軍に徴用されており民間レジの他に海軍のビューローナンバーも割り当てられていた。 フランクリン・ルーズベルト大統領がカサブランカ会議でチャーチル首相に会いに行く時に使用し、これが歴史上大統領が公務で乗った最初の航空機となった。 余談になるが、確かにフランクリン・ルーズベルト大統領は公務で最初に飛行機に乗った大統領であるが、セオドア・ルーズベルト(フランクリンの遠縁にあたる)は大統領退任後の1911年にライトフライヤーに乗せてもらっており、これが米国大統領経験者として史上初の飛行となる。 また、アイゼンハワー大統領は航空機操縦免許を持つ初の大統領で、大統領になる遥か前、第二次大戦開戦前に何度か飛行していた。その後大統領専用機Colombine UやVを自分で操縦していた....ということは勿論無い。 ブッシュ大統領(親父の方)は第二次大戦中の1944年6月19日、軽空母サンハシント(CVL-30)からVT-51所属のアベンジャーを操縦して離艦後、日本軍機に撃墜され洋上に不時着水し、駆逐艦クラレンス・K・ブロンソン(DD-668)に救助された。 その後1944年9月2日には同じくサンハシントからアベンジャーで出撃、父島の無線基地を攻撃中、対空砲火に撃墜され洋上にパラシュート降下し、捕虜になりそうな所を潜水艦フィンバック(SS-230)に救助され、その潜水艦は爆雷攻撃を受けたりしながら1ヶ月後ハワイにたどり着いたという経歴の持ち主。 そのドラ息子、現ブッシュ大統領は、親父のコネでテキサス州空軍に入隊しF-102デルタダガー要撃機のパイロットとなりベトナム戦争徴兵を免れた、という噂である。2000年の大統領選挙の時は対立候補のゴア(当時副大統領)もやはり徴兵を免れていた為争点になることはなかったが、次回選挙の対立相手によっては蒸し返されることもあるのではないだろうか。 2004年10月11日追記:やはり争点になりましたね。というか、ブッシュの州空軍時代の経歴記録が「残ってない」なんて無茶苦茶。 2005年1月追記:で、結局再選されました。アメリカ大統領は親子で再選されない、というジンクスは破られた訳です。でも、まあ私としてはケリーだろうとブッシュだろうと、結局アメリカ国民が後押しする大統領はだれがなっても似たようなものだと思います。 むしろブッシュは失言とか、勘違い・いい間違いのスピーチが滅法多いので(いわゆるBushism)、今後もニュースで、インターネットでこれを見る楽しみが残る訳ですね。 |
専用機 |
1962〜1972 |
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シリアル |
48-610 |
62-6000 |
82-8000 |
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ベース |
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Spirit of '76 |
Spirit of '76 |
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エンジン |
P&W |
P&W |
P&W |
Wright |
Wright |
P&W |
P&W |
GE |
エンジン |
1,300Hp |
1,450Hp |
2,400Hp |
2,500 |
3,400Hp |
2,500Hp |
8,100Kg |
2,6000Kg |
12,550 |
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調達価格 |
131,000,000 |
(Agusta Westland) |
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47J |
H-34 |
H-3 |
H-60 |
Merlin |
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Lycoming |
Wright |
GE |
GE |
CT7-8E |
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89th Airlift Wing |
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1st Airlift Squadron |
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99th Airlift Squadron |
(V)C-9C |
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1st Helicopter Squadron |
大統領専用機 |
大統領専用機 |
大統領専用機 |
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503rd Army Air Base Unit |
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1943年6月2日〜 |
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1944年6月12日〜 |
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1945年4月12日〜 |
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1947年7月4日〜 |
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1948年1月6日〜 |
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1948年10月1日〜 |
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1952年8月1日〜 |
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1953年1月20日〜 |
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1954年9月10日〜 |
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1960年12月1日〜 |
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1961年1月20日〜 |
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1961年7月〜 |
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1962年10月10日〜 |
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1963年11月22日〜 |
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1965〜 |
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?〜 |
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1966年1月8日〜 |
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1969年1月20日〜 |
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1972年8月9日〜 |
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1974年8月9日〜 |
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1977年1月20日〜 |
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1977年9月30日〜 |
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1980年12月15日〜 |
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1981年1月20日〜 |
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1989年1月20日〜 |
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1990年8月23日〜 |
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1991年7月12日〜 |
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1993年1月20日〜 |
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1997年1月20日〜 |
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VC-25Aエアフォースワンの解説 |
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C-32Aの解説 |
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VC-137の解説 |
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VC-25Aに関する紹介 |
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アメリカ空軍アンドリューズ空軍基地にある、エアフォースワン、ツーを運航する89th Airlift Wingのホームページ |
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マリンワンを運行する部隊HMX-1の装備と歴史(PDF形式) |
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要人輸送に使う機体の座席配置表(PDF形式) |
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現エアフォースワンのVC-25A、旧エアフォースワンのVC-137、要人輸送機のC-20/C-37系、C-32A、C-9、要人輸送任務SAM全般の解説、運用する89th AW の各部隊PPO、 99th AS、1st AS、1st HSの解説、 海兵隊のマリンワンとして使われるVH-3D及びVH-60Nの解説、運用部隊HMX-1の解説など。 |
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大統領搭乗機の歴史のページ |
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旧エアフォースワン VC-137 27000 の展示予定 |
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大領搭乗機を集めたハンガーの展示機の解説 |
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1960年代後半に89th AWで働いていた元隊員による体験談と大統領専用機の解説。かなり読み応えがある。 |
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現在の副大統領搭乗機(エアフォースツー C-32A)機内の写真 |
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エアフォースワンとして使われたVC-137Bの機内・外の写真。 |
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エアフォースワンとして使われたVC-137Bの機内・外の写真。 |
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VC-25Aエアフォースワン来日時の写真 |
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膨大な量を誇り民間旅客機であれば国籍新旧問わず大抵のものは見つかるが、クエリーで検索すると大統領専用機、その他VIP輸送機も相当な写真が見つかる。 海外で撮影された日本国政府専用機とか、現役時代のColumbineVの写真も見られる。インターネットの本領発揮、といった所。 |
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「エアフォースワン」の実機解説と機内の様子の記述 |
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米国で放映されたエアフォースワンのドキュメンタリー番組の紹介 |
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